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2006年1月25日 (水)

2002年01月14日(月) 山崎豊子『沈まぬ太陽』1~5巻(新潮文庫)

沈まぬ太陽〈1〉アフリカ篇(上) 沈まぬ太陽〈1〉アフリカ篇(上)

著者:山崎 豊子
販売元:新潮社
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沈まぬ太陽〈2〉アフリカ篇(下) 沈まぬ太陽〈2〉アフリカ篇(下)

著者:山崎 豊子
販売元:新潮社
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沈まぬ太陽〈3〉御巣鷹山篇 沈まぬ太陽〈3〉御巣鷹山篇

著者:山崎 豊子
販売元:新潮社
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沈まぬ太陽〈4〉会長室篇(上) 沈まぬ太陽〈4〉会長室篇(上)

著者:山崎 豊子
販売元:新潮社
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沈まぬ太陽〈5〉会長室篇(下) 沈まぬ太陽〈5〉会長室篇(下)

著者:山崎 豊子
販売元:新潮社
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父が「週刊新潮」を毎週読んでいたので、山崎豊子が『沈まぬ太陽』という連載をだらだらだらだら続けているのは、なんとなく知っていた(多分「週刊ポスト」の『模倣犯』より長かったのでは? 別に比較した訳ではないけれど)。途中で「御巣鷹山」とかいう字が見えたので、どうやら日航の話らしい、というのも、知るとはなしに知っていたが、そんなに興味を持ったことはなかった。
山崎豊子といえば、小説が長い、社会的テーマを扱った大衆小説、というイメージがあり、今まで特に興味を持ったことはなかったのだが(厳密には、中学生だか高校生の時に『華麗なる一族』の冒頭をぱらぱらっと読んだことがあり、伊勢志摩ロイヤルホテルだったかどこかの晩餐の様子を読み、興味深かったのだが、自分の本でなく、少し読んだところで置いて帰らなくてはならなかった、ということはあった)、友人が山崎豊子は面白い、是非読みなさい、というので、まぁそれは『華麗なる一族』でも『白い巨塔』(田宮二郎を思い出しますな)でも、『大地の子』(上川隆也を思い出しますな)でも『二つの祖国』(松本幸四郎を思い出しますな)でもよかったのだが、たまたま文庫で新刊が出たので、『沈まぬ太陽』から始めてみることにした。
自己管理不行き届きで、2泊の入院を余儀なくされたため、入院中の無聊を慰めるに、山崎豊子は最適であった。自己反省すべき入院期間を、わたしは主人公恩地元と一緒にどきどきはらはら過ごし、退屈することがなかった(まぁベッドで長編小説を読むのは疲れるけれど)。

労働組合、って、本来は社員の権利を守ったり、社員の生活環境を向上させるためにあるのだが、多くの企業で、会社経営陣の御用組合になっていたり、逆に、一部の先鋭化した組合員が過激な主張をして、その一派だけが社内で冷遇されたり、組合がすべての組合員のためになっているとは言いがたい場合が多いような気がする(って、わたし自身の経験は乏しいので、あくまでもイメージ論ではあるが)。
この小説は、恩地元という、コネなしで大手航空会社に就職した優秀な青年が、順当な出世コースに乗る直前に組合活動にある意味不本意な形で深入りすることとなったのをきっかけに、報復人事の標的となり、カラチ、テヘラン、ナイロビと、所謂「僻地」を転々とさせられる様子を描いているが、その一方で、大企業の労働組合の病理的部分、矛盾を色々な側面から描いている。昔から、日本航空には労働組合が幾つもある、という話は聞いたことがあったのだが、その背景となる状況(恩地元が委員長をやっていた時代には組合は一つしかなかったのだが、会社の意向や、パイロット、スチュワーデスといった、地上職と違う職種の人々が独自に組合を結成したことなどから、組合が細分化されていった)が、この小説を読むことでなんとなく理解出来た。
同時期に組合の委員長と副委員長をやっていた、同期の行天四郎が、組合に見切りをつけて出世街道に乗り、会社のダークな部分にどんどん足を突っ込んでいくのと、組合を裏切ることが出来ない、と、自分の正義を曲げず、どんどん日本から離れた場所へ送られていく恩地との対比。
組合の目的でもあり、会社の目的でもある「空の安全」を、企業(厳密には特殊法人)はどのように考えているのか? 1972年にインドとソビエトで相次いで起こった航空事故と、1985年の日航機墜落事故を小説は描く。特に1985年に御巣鷹山で墜落した日航ジャンボの事故の話は、一部実名も出し、事故の状況を詳細に描き、また、その後の遺族の行動、日航の遺族係の対応、遺族会の結成など、どのページを読んでも涙が出てくるような、辛い話の連続だった。人は多くの理不尽な事故で、愛する家族を亡くすことがあるが、このようなmassな事故には独自の状況があるものなのかな、と考えさせられる。
墜落事故の責任を取って辞任した社長の後任に、総理大臣は、航空業界とは縁もゆかりもない関西の紡績会社の会長を任命する。今までの腐敗体質を是正すべく、清廉な人柄の会長は、現場の声を集め、労働組合の統一をはかり、また人事の刷新をはかるが、会社の経営陣とそれを取り巻く環境は、予想以上の伏魔殿であった。会長に乞われ、秘書室とは別に設けられた「会長室」に招かれた恩地だが、恩地の存在自体が会長の立場を悪くするシチュエーションもあり、また、腐敗構造のあまりの巨大さに、代表権を持つ会長ですら手をこまねくことになる...。背後には内閣の意向、政治の裏金、運輸省との癒着なども描かれ、これが本当にすべて事実だとしたら本当に恐ろしいことだが、火のないところに煙は立たないのであれば、このなかにそれ相応の事実も存在するのだな、と寒い気持ちになる。
ラストでも、読者は溜飲を下げきれない。会長は志半ばで社を去り、多くの悪が暴ききれないまま、物語は終わる。恩地の家族が得たささやかな幸せ、行天を待つ特捜部の手、といった、僅かな正義の姿だけで、読者は満足しなくてはならないのか?

作者は「この作品は、多数の関係者を取材したもので、登場人物、各機関・組織なども事実に基き、小説的に再構築したものである。但し御巣鷹山事故に関しては、一部のご遺族と関係者を実名にさせて戴いたことを明記します」と書いている。つまり、これは小説であり、小説でない、らしい。『大地の子』で、作者がモデルとなった人物との間でもめた経験から、このような但し書きがついたのか? いずれにせよ、不勉強なわたしには、この物語が幕を閉じたあとの「国民航空」の姿がよくわからず、なんとなくもやもやしたものが残ったままである。

空の安全のために尽力する、多くの現場の人に敬意を表して。

2001年07月07日(土) 井田真木子『フォーカスな人たち』(新潮文庫)

この本は、1995年に文藝春秋から『旬の自画像』というタイトルで単行本が出て、当時、幾つか好意的な書評を見かけたので、読んでみたいな、と思っていた。1995年といえば双子を産んだ年で、まぁ単行本を買わなくても、そのうち文庫になったら読もう、なんて思っていたら(ずっと忘れてはいなかった、時々まだ文庫にならないのかなー、と思っていたんだよ)6年も待ってしまった。タイトルも出版社も変わり、もう少しで見逃すところだった。

この本は、バブルの時代を象徴する5人の日本人の評伝である。象徴? そのラインナップを見ると、不思議な感じがするのだが、彼女の文章を読んでいるうちに、色々な側面からそれは確かに1980年代後半から1990年代前半を象徴した人たちであることがわかる。
その5人とは、黒木香、村西とおる、太地喜和子、尾上縫、細川護熙である。最初の2人は分かちがたく結びついている感じがあるが、あとのその2人と、あとの3人は全くばらばらに見える。
作者は、その時代の写真週刊誌を丹念に眺め、時代の空気のようなものを読み解こうとする。黒木香を、「わたくし」というキーワードで選び出し、その時代の様々な「わたくし」の姿を書き出していく。例えば榎本三恵子、例えば三浦良枝、林葉直子、大林雅美(上原謙の元妻)。村西とおるを描きながら、時代の求めた猥雑さを分析し、太地喜和子の歩みを描きながら、新劇の歴史をなぞる。尾上縫のやったことを克明に描き、理念だけが先行する細川護熙の人生を、小沢一郎と絡めながら書く。
いずれも、わたしの知らないことばかりだった。
1980年代から90年代前半、といえば、高校生から社会人にかけての時代で、どの登場人物についても、通り一遍の知識はある、と、自分で思っていた。
しかし、もしかして、わたしは何も見ていなかったのではないか?
作者が描いたことだけが時代の本質ではないにせよ、わたしは結局のところ、バブルの時代というものを、ほんの表面的にしか知らなかったのではないか?
わたしが知っているバブルは、雑誌「Hanako」の記事に書かれているものだけだったのではないか?
作者の、時代を見る力に圧倒された。

最初雑誌に発表されたルポルタージュを、単行本化する際に書きなおし、また文庫化する際にかなり加筆しているようで、わたしが読んだ本はかなり「現在」に引き寄せられている。
しかし、作者は、この文庫本が出た直後に急逝し、写真週刊誌という媒体も往時の輝きを失っている。文庫版のタイトルに入っている「FOCUS」も休刊してしまう。
作者の冥福を祈りつつ、一人でも多くの人にこの本を手にとってほしい、と思う。

#アフィリエイト対象になってなかったので、amazonへのリンクだけ。

その他の著作でアフィリエイト対象になっていたものを下記に。

『ルポ十四歳-消える少女たち』は読みました。辛く、切ない話でした。

ルポ十四歳―消える少女たち ルポ十四歳―消える少女たち

著者:井田 真木子
販売元:講談社
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かくしてバンドは鳴りやまず かくしてバンドは鳴りやまず

著者:井田 真木子
販売元:リトルモア
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いつまでもとれない免許―非情のライセンス いつまでもとれない免許―非情のライセンス

著者:しりあがり 寿,井田 真木子
販売元:集英社
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2006年1月24日 (火)

酒井順子『負け犬の遠吠え』 / 2004年07月06日(火)

負け犬の遠吠え 負け犬の遠吠え

著者:酒井 順子
販売元:講談社
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酒井順子『負け犬の遠吠え』講談社
講談社文庫のPR雑誌「IN☆POCKET」の連載を1冊にまとめたものらしい。

既に内容については色々な媒体で触れられていて、今更ここで紹介するまでもないが、作者は、自分がそこにカテゴライズされる「三十代・独身・子なし」の女性を「負け犬」と定義し、「勝ち犬」(既婚・子どもありの同世代の女性)と対比し、それぞれの人生のあり方について、色々な角度から語っている。

簡単に片付けてしまうのであれば、いつの世でも、隣の芝生は青いのであり、人間いつでもないものねだりをしてしまうものなんだよね、ということだが、別に作者は自分の「負け犬」人生を恥じたり後悔したりしている訳ではない。人生の様々な局面で、なんとはなしにしてきた選択の数々の結果、今のような境遇に流れ流れてきた訳だが、所謂「勝ち犬」は、自分の人生を計算し、ある意味打算をした結果として、今の境遇にいて、自分の好奇心や本能を優先させて生きてきた人たちが、ふと気づくと「負け犬」になっていた、というトーンが、この本の中には見える。
ある意味、負け犬の方が、ロマンチックでピュア? なので高望みをして、結果として、新たな家族を築くことなく今日に至っている...。
考察で面白かったのは、日本にはカップル文化というのがないため、負け犬が負け犬同士でつるんでいても違和感がない社会が形成されている、というか、カップルが、カップル単位で登場しなくてはならない場というのが極めて少なく、日本人は人生の大半の部分を同性同士で過ごしている(勝ち犬負け犬かかわらず)、という部分。この本の中でも触れられている『ブリジット・ジョーンズの日記』などを読んでもあきらかなように、他国の都市圏(負け犬は、都市部以外の場所では大量発生しない構造になっている)では、負け犬も、負け犬同士だけではいられない場、というのがあり、結果として、負け犬には、恋愛関係にはならない男友達が必須(ゲイであったり、あまりに幼馴染過ぎて恋愛対象にはならなかったり)らしい。

この本は負け犬も勝ち犬も礼賛していない。見た目華やかで格好いい負け犬は時として空虚な思いにとらわれる時もある。勝ち犬(何回書いても変な響きのことばだね、こりゃ)は、安定した生活に安住しているが、緊張感のない人生を幸せと感じているかはよくわからない。そして、二極化しないと書きにくいので、あえて触れられていない中間的な立場の人、どちらの範疇からもはみ出ている人だっている。結局、二元論では片付かないんだけど、便宜的に分けると面白く読める、ってことだよね。

自分の人生を振り返り、考えると、わたしの勝ち犬負け犬分岐点は、22~25歳頃にあった。
それまで適当に流して楽しく生きていたわたしは突如、呪いにかかったような、男ひでり状態になったのである。
訳わかんない悪循環ループから脱出する手をさしのべてくれたのが今の夫であり、また呪いにかかってはかなわん、と、結婚を急いだ結果、わたしは20代後半で結婚、30代突入直後に出産し、なんだか勝ち犬になってしまったのである。
あそこに何かのきっかけが転がっていなかったら、好奇心体質のわたしは、そのまま負け犬街道を突っ走っていた可能性が大きかった。母とかにも「30になっても結婚していなかったら、自宅を出て自活しなさい」と、負け犬前提の話をされていた。
『負け犬の遠吠え』を読んでいると、パラレルワールドにいる自分を見ているような気がする。きっと誰もが、何かのきっかけで今いるカテゴリーと違う方のカテゴリーにいたかもしれない自分を思い浮かべながら読むのではないか。

ブリジット・ジョーンズの日記 ブリジット・ジョーンズの日記

著者:ヘレン フィールディング
販売元:ソニーマガジンズ
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2006年1月20日 (金)

2001年07月24日(火) 恩田陸『三月は深き紅の淵を』(講談社文庫)

三月は深き紅の淵を 三月は深き紅の淵を

著者:恩田 陸
販売元:講談社
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タイトルちょっと覚えにくくないかい?、と思った。
まぁ、タイトルも雰囲気のうちですが。
『三月は深き紅の淵を』という、幻の本があるらしい。
その本が幻かどうかは、この物語の主題ではない。
この物語が語っているのは、この本をさがしている人の話だ。
恩田陸は、自分を語ることの極端に少ない作家のように思われる。独特の味わいのある小説を、文庫になった端から読んでいるところだが、本人については何もわからないも同然できた。
それが、この『三月は深き紅の淵を』の最終章で、自分を投影したかのような作家を使ってぽつぽつと語っている。わたしはこういうのをメタフィクションを呼ぶことが多い。楽屋落ちとも言う。そういう構造が気にならない作家もいるのだが、この『三月は深く紅の淵を』の第四章「回転木馬」は、ちょっと苦手だった。出来ればこの物語もとことん作家自身を隠して語って欲しかった。メタの部分と絡まり合った「三月の国」の物語が面白かったので、そちらを徹底して語ってほしかった。
第三章「虹と雲と鳥と」(タイトルだけ見ると坂口安吾みたい)は、高校生小説って感じの味わいが『球形の季節』や『六番目の小夜子』を思い出させる。
ミステリ的要素が一番面白かったのは、第二章「出雲夜想曲」。この章もちょっと作者自身が投影されているが、そう思ったのは読了したあとだった。
ロアルド・ダール『チョコレート工場の秘密』に捧げられたかのような第一章「待っている人々」は、設定が濃いのに、話が短過ぎて残念。恩田陸ならきっとこの第一章だけでも1冊書けたろうに。この第一章の主人公(?)鮫島巧一の発言が面白かった。「僕は、今の時代、本読む人間は昔よりも憎まれているんじゃないかって気がするんです」だって。講談社文庫版の96ページ。よかったらちょっと読んでみて下さい。こんなもんなのかなぁ?
芳醇な読書の世界を垣間見せてくれているのに、それが100%の効果を示していない、わたしにとっては悔しい1冊。この本から派生させて、もっと面白い小説を読ませて欲しい。

2001年09月27日(木) 梨木香歩『裏庭』『西の魔女が死んだ』(共に新潮文庫)

西の魔女が死んだ 西の魔女が死んだ

著者:梨木 香歩
販売元:新潮社
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裏庭 裏庭

著者:梨木 香歩
販売元:新潮社
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実はわたしは、日本人が書いたファンタジーが苦手である。いや、昔読んだ佐藤さとるや安房直子や立原えりかなんかは抵抗なかったのだが、今回読んだ『裏庭』みたいに、日本で、普通の生活を送っていた小学生が突如、魔法世界の「裏庭」に迷い込み、さまざまな冒険を非日常世界で送り、また最後に現実世界に帰って来る、という風合いの物語にどうも抵抗がある。
『裏庭』は、どこかへ出かける途中などにこまぎれに読んでいたこともあり、どうも導入部で躓いてしまった。主人公照美が双子の弟と死に別れ、レストランを経営する両親の愛情を今ひとつ実感できずに暮らしているという実世界の物語はそこそこ腑に落ちた(双子ものとして、無理のない作りだと思った)のだが、古い洋館の鏡の奥の別世界の裏庭に入り、冒険に仮託された自分探しをする展開が、どうもむずがゆいのである。また、そうした架空世界に身を置いているのをexcuseにして、自分探しの過程ですごく残忍なことが起こるのも辛かった。
振り返ればそれなりに面白かった、と言えるのだが、色々留保の残る作品だと思った。
で、『裏庭』を読んでいる途中で『西の魔女が死んだ』も買ったのだが、しばらくああいう風合いの話は読まなくていいかなぁ、と思っていた。だってタイトルに「魔女」なんて入っているんだもん、同じ系統だと思うよねぇ? そうしたら、メール交換をしたある人に「『西の魔女が死んだ』はファンタジーじゃない」と断言され、え、そうなの?、と思ったら俄然気になりだし、手に取ったら一気に読んでしまった。主人公まいが、不登校になった中学1年生のある時期を、田舎に住む祖母(日本に住むイギリス人。つまりまいはquarterである)のもとで過ごす。その間に魔女として生きる心得を祖母から伝授される物語。そこには実際は魔法はない。自分らしく生きるためには、どういう心持ちをしていればいいかが、自然に近い暮らしを描いた中で見えてくる。物語の中の現在では、「魔女」こと祖母はもう死んでしまっているのだが、魔女修行をして2年たった現在の時点で、まいはまた、当時理解出来なかったことを会得していくのである。
このところ人の死について考えることが多かったので、死について、作者がどのように考えているのか明示されているのにも好感が持てた。
梨木香歩という作者、名前すら知らなかったのだが、インターネットの読書系サイトで何回も名前を見かけて手に取った、現代的な出逢いをした作家だが、機会があったら、もう数冊読んでみたい、と思った。

2006年1月19日 (木)

角田光代『太陽と毒ぐも』(マガジンハウス)

太陽と毒ぐも 太陽と毒ぐも

著者:角田 光代
販売元:マガジンハウス
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何冊か角田光代を読んできたが、面白くなかった本はない。安定した力量のある人だな、と思う。一方で、どの作品も淡白で、この作品でなくちゃ、この登場人物でなくちゃ、というものがない。そのためにこの人は長らく代表作というものを持たなかった。『対岸の彼女』が直木賞を取ったことで、彼女の代表作は当面『対岸の彼女』ということになるのかな、と思ったが、正直言って、『対岸の彼女』ですら、淡白すぎるような気がする(一応ドラマチックな物語が背景にあるのに)。
わたしは、今回読んだ『太陽と毒ぐも』が一番好き。タイトルもいいと思うし、ひとつひとつの作品の完成度も高い。完成度、というか、ある意味この本の中の11の短編はどれも、同じことの繰り返しだ。惚れたはれたで一緒になった(といっても結婚ではなく同棲程度まで)男女が、相手の中に相容れない部分があるのがどんどん気になっていく。それは、時として大きな波のように、嫌悪感で自分の中を満たすが、最終的には緩やかな寛容とあきらめがやってくる(最終的、というのは表現として正しくないかも。何故なら小説の終わりは二人の関係の終わりではないから)。形として別れてしまっても、より深く結びつく形で小説が終わっても、どの登場人物も、相手を、ゆるやかに許容している。
なんでこんなにロマンチックでないんだろう。恋愛が何年かかけて進化した状態は、こんなにも疲労感に満ち、やるせないものなのか。
それでも人は誰かを必要とし、相手の中の何かから逃げ出そうとしている。本当に逃げ出すことはせずに。
(2005.8.16 mixiのレビューに掲載)

2001年02月27日(火) 山本文緒『紙婚式』(角川文庫)

紙婚式 紙婚式

著者:山本 文緒
販売元:角川書店
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昨日、ゲレンデで読み、残りは帰りの新幹線の中で読んだ。
結婚生活をテーマにした短編集。
傍目には幸せそうに見える結婚生活が、内情は破綻していて、あるきっかけから崩れて行くところを冷徹に描いている。
トルストイの『アンナ・カレーニナ』の有名な冒頭、「幸福な家庭は全て似かよって皆幸せだが不幸な家庭はそれぞれ異なって皆不幸である」を思い出す。結局、幸福そうに見えても誰もが不幸の種を抱いて、それぞれの不幸を紡いでいるだけなのか?
これを読んで、「うちはこんなにひどくないわ」なーんて読む人もいるのだろうか。きっとそんなことはないのに。どんな夫婦にも、それぞれに歪みがあって、その歪みが、あるきっかけで破綻に突き進むか、一生平和(そう)に暮らせるか、それは運次第かな、と思う。
わたしは永遠を信じない。
この小説の登場人物達は、世の中に永遠に変わらないものなんてない、ということに気付いていなかったり、理解していなかったりすることで、不幸になっている場合が多い。
ちょっと前にはやった、「愛は何故4年で終わるのか」を下敷きにした、ちょっとこわい物語たち。
口直しのように、救いの方向を示して終わった作品が幾つか入っていて、ちょっとほっとする。読者を追い詰めても仕方ないのだ。
こういう話を読んだ後は、自分の結婚生活については考えないようにした方がいい。

2006年1月18日 (水)

伊坂幸太郎『魔王』

ミステリではないけど、ミステリ的? 伊坂幸太郎という作家がジャンルとしてミステリ作家?、ということで一応「ミステリ系」に入れておきます。

魔王 魔王

著者:伊坂 幸太郎
販売元:講談社
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伊坂幸太郎『魔王』(講談社)読む。今回はこれが直木賞候補でもおかしくなかったのでは? 『死神の精度』は連作短編だが、こちらはつながっている中篇2本。比較するものでもないが、『死神の精度』に見えるテーマは死、『魔王』は全体主義とかファシズムとか、憲法改正とか、国民投票とは何か、ということが表面で語られながら、実際にはもっと違うことをテーマとしている。こちらの方が説明しにくく、おそろしく、美しい。主人公の兄弟、ちょっと『重力ピエロ』を思い起こさせる、別に理想の兄弟じゃないんだけれど、こういう人間関係もあるといいのに、みたいな関係。「魔王」とは一体誰のことなのか。○のことかと思ったら、いや●のことのようでもあり、もう少し読み進めると△のことなのかも、と思い、でも最後まで読むと▲のことなのかも、と驚いたり。宮沢賢治が、こんなにも美しく、おそろしい要素を持っているというのも、宮沢賢治を読むようになって30年余、初めて知ったことだし、色々な意味で衝撃的な本であった。全体主義的傾向については、また、人の意見を引くことが、別の方向の全体主義みたいな気もしないでもないが、自分で語るよりは内田樹のこのblogを引きたい:動物園の平和を嘉す。正直言って、世界がこんな不自由な二分論で分かれているのだとしたら、それはそれで辛いことだが、明晰な指導者がひとりで歴史を作る、ということは、やはりちょっと違うのではないか、などと思ったりも。まとまらなくてすまん。しかも『魔王』の感想とはちょっと違う...。
阪神大震災から11年。10年という区切りを過ぎたせいか、はたまた今日はライブドアの家宅捜査、宮崎勤の上告審判決、ヒューザー小嶋社長の証人喚問等、割と世間をにぎわす種類のニュースが重なったせいか、ニュース等での扱いも淡白で、なんだか静かに1日が過ぎたような気がする。しかし、あれから11年たって、関東にはあれに匹敵する規模の地震はいまだ起きていないが、今この瞬間に大地震が来ないとも限らない、というのは、空恐ろしいことである。

予想的中!

という訳で、1つ前の記事の予測はほぼ的中です。

芥川賞に絲山秋子「沖で待つ」(文學界9月号)、直木賞に東野圭吾『容疑者Xの献身』(文藝春秋)。自分で読んで評価したものにしかアフィリエイトは貼らない方針だが、考えてみたら、まだ読んでない(でも読むつもりでリクエスト中ではある)東野圭吾も、下の記事で既にリンク貼ってあるので、いいや、絲山秋子もアフィ貼ってみましょう。祝受賞!

ニート ニート

著者:絲山 秋子
販売元:角川書店
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袋小路の男 袋小路の男

著者:絲山 秋子
販売元:講談社
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イッツ・オンリー・トーク イッツ・オンリー・トーク

著者:絲山 秋子
販売元:文藝春秋
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逃亡くそたわけ 逃亡くそたわけ

著者:絲山秋子
販売元:中央公論新社
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海の仙人 海の仙人

著者:絲山 秋子
販売元:新潮社
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スモールトーク スモールトーク

著者:絲山 秋子
販売元:二玄社
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全部で6冊ですね。

まだ文庫化された作品もない...純文学やって、食べていくのは大変だ。

芥川賞を取ったことで、少しはメジャーになるか? でも意外とそうでもないのが芥川賞の難しいところです。

お、本人が更新してるっぽい公式サイトハケーン。

メッタ斬りサイトに出ていた、受賞作のあらすじ。

>> 及川と太はバブル期に同じ会社に就職した。恋人同士ではなく、同期の友人だ。太は会社の先輩と結婚している。

>>二人が出会ってから何年かたち、バブルが終わったころ、太は及川に突然「協約結ぼうぜ」と提案する。自分が死んだあと、残っていていちばんやばいのは、パソコンのハードディスクだ。だから、「先に死んだ方が、相手のパソコンのHDDを破壊するのさ」と。

>>その名の通りよく肥って死にそうにも思えなかった太が、ある日突然、飛び降り自殺に巻き込まれて死んでしまう。及川は、太が単身赴任していたマンションの部屋に忍び込み、HDDを破壊した。

えーと、じゃあ、及川は太のHDDを破壊してあげますが、及川のHDDは一体どうすればいいんでしょう?

及川はずっと誰かと死んだらHDD破壊契約を結び続けるのかしら?

すみません、くだらない突っ込みで...。

2006年1月17日 (火)

芥川賞・直木賞選考会は今日!

といってもまだ20時間以上ありますが。

昨日付けの日記に書いた受賞予測に、ちょっとアフィ貼っておきます。

そうか! 明日が芥川賞・直木賞の選考会か! 松尾スズキが芥川賞にノミネートされていることすら、ついさっきまで気づいていなかったわたしだが、ついつい、豊崎由美と大森望のメッタ斬りを読みふけってしまった。大半の候補作を読んでないわたしの勝手予想では、絲山秋子(芥川賞)、東野圭吾&伊坂幸太郎(直木賞)かしらん。伊坂幸太郎はもう半年待ってもいいかも? メッタ斬りコンビが推す恩田陸『蒲公英草紙』はちょっと弱い気が。これも半年後に『ネクロポリス』で頑張って欲しいが、あの本は長すぎか...。恩田陸はまだ代表作がないような気がするんだけど(『夜のピクニック』は名作だったが、恩田陸はあれをもって代表作とする人ではない!)。ズンせんせいは豊崎由美の仮想敵みたい。明日の選考会でまたどんなことをぶちかますのか? 妙な期待が...。

容疑者Xの献身 容疑者Xの献身

著者:東野 圭吾
販売元:文藝春秋
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死神の精度 死神の精度

著者:伊坂 幸太郎
販売元:文藝春秋
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蒲公英草紙―常野物語 蒲公英草紙―常野物語

著者:恩田 陸
販売元:集英社
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夜のピクニック 夜のピクニック

著者:恩田 陸
販売元:新潮社
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ネクロポリス 上 ネクロポリス 上

著者:恩田 陸
販売元:朝日新聞社
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ネクロポリス 下 ネクロポリス 下

著者:恩田 陸
販売元:朝日新聞社
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2006年1月10日 (火)

北杜夫

相変わらずいつ終わるともしれぬ「愛ルケ」に目を走らすため、職場で日経新聞の最終面に目を通しているのですが、今月の「私の履歴書」は北杜夫です。

中学時代、学校の図書室で『どくとるマンボウ航海記 』を読んだのを皮切りに、どくとるマンボウものは一通り読み、その後は『楡家の人々』とか、『さびしい王様

さびしい王様 さびしい王様

著者:北 杜夫
販売元:新潮社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

』シリーズとか、北杜夫の本はいっぱい読みました。
今出ている「私の履歴書」の内容は、大体『どくとるマンボウ青春記

どくとるマンボウ青春記 どくとるマンボウ青春記

著者:北 杜夫
販売元:新潮社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

』などで既に内容を読んだことのあることばかりですが、なんだかすごく懐かしい。

最近は北杜夫の著作を読む機会は殆どないけれど、お嬢さんの斎藤由香さんが書いているコラムを「週刊新潮」で読むと、父の顔もなんとなく思い出します。
斎藤由香のエッセイ連載開始前に北杜夫の『孫ニモ負ケズ』(単行本1997年刊行)を読んでいるんだけど、北杜夫はお子さん一人の筈なので、この人はその孫の母ってことだよねぇ、と、斎藤茂吉の息子であり斎藤由香の父であり、ヒロ君の祖父である北杜夫、とか、斎藤茂吉の孫であり北杜夫の娘でありヒロ君の母である斎藤由香、とか、人の持つ色々な側面に思いを馳せながら読書する楽しみが増すのも、北杜夫的世界に触れる喜びだったりします。

窓際OL 会社はいつもてんやわんや 窓際OL 会社はいつもてんやわんや

著者:斎藤 由香
販売元:新潮社
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窓際OL トホホな朝ウフフの夜 窓際OL トホホな朝ウフフの夜

著者:斎藤 由香
販売元:新潮社
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2006年1月 6日 (金)

2001年09月28日(金) 嶽本野ばら『鱗姫』(小学館)・『それいぬ』(文春文庫PLUS)

Book それいぬ―正しい乙女になるために

著者:嶽本 野ばら
販売元:文藝春秋
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鱗姫 鱗姫

著者:嶽本 野ばら
販売元:小学館
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うろこひめ うろこひめ

著者:嶽本 野ばら
販売元:主婦と生活社
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鱗姫―uloco hime 鱗姫―uloco hime

著者:嶽本 野ばら
販売元:小学館
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『ミシン』(7月15日参照)に続き、嶽本野ばらを2冊続けて読む。『ミシン』は期待しすぎてあれっ、っという感じになったが、『鱗姫』では逆に、期待以上のものを得られた感じ。
『それいぬ 正しい乙女になるために』は、フリーペーパーに作者が連載していた、見開き2ページ程度のエッセイが沢山おさめられていて、「乙女とはかくあるべし」という作者の美学が、はっきりと打ち出されている。こっちを後で読んだが、ここで記された乙女のこだわりが、小説として結実しているのが『鱗姫』だと、振り返ってしみじみ実感する。
『鱗姫』の主人公龍烏楼子(たつおたかこ)は高校生。白く滑らかな肌を何よりも大切にし、そのためならどんな努力も厭わない。学校の同級生や教師にも迎合しない。周囲の人間から見て「いやなやつ」でも、自分の美学の方が大事。そんな彼女の思考が丁寧に描かれる。お金持ちとはかくあるべし、という部分は、ちょっと、「お嬢様もの」をよく書いていた時期の田中康夫の焼きなおしみたいな感じもしたけれど。
中世の逸話、「血まみれの伯爵夫人」エリザベート・バートリーの物語は、初めて知ったので興味深かった。そして、この逸話が、物語の後半で大きな意味を持つようになるのだ。
表題になっているのである程度のネタバレはやむなし、と少し紹介すると、楼子は、身体に鱗が生えてくる業病にかかる。美肌を追求してきた乙女への人生の皮肉。憧れの伯母に治療の指針を与えられ、大好きな兄に病気のことを知られ、ストーカーのように自分にまとわりつく謎の男の正体がわかり、物語は実におぞましいクライマックスを迎える。読んでいて、成程、これ以上の結末はないねぇ、としみじみ感心。クライマックスの作り方は前作『ミシン』でも唸らせられたので、ここを突き詰めて行けば、作者はこれからも凄い作品を生み出してくれるのだろうなぁ、と期待出来る。
『それいぬ』はコラム集なので、1篇1篇の分量が少なく、ちょっと物足りない部分もあるが、上に書いたように、本人のこだわりが、はっきりと打ち出されていて、自分の求めるものをはっきり提示出来る人は強いなぁ、と羨ましく思った。「正しい乙女」として暮らして行くのは大変な気もするが(というか、少なくともわたしの趣味ではないが)、自分の眼と自分のココロをしっかり持って生きられれば、それが最高の贅沢だということを教えてくれる好著であった。
万人に勧めはしないが、わたし的には出遭えて幸せだった作家である。

2001年07月15日(日) 嶽本野ばら『ミシン』(小学館)

ミシン ミシン

著者:嶽本 野ばら
販売元:小学館
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読書計画が思うように進まず、本棚爆撃に「乙女の港」の話を書いてから、実際に嶽本野ばらの本を読むまで2ヶ月かかってしまった。
嶽本野ばらが目指すのは、中原淳一の眼の大きな少女達が住むような、少女小説の世界。耽美的な文体で、自分の好きな気分をみっちり描く。
先入観が出来ていたので、実際にこの中編集を読んでみて、「えっ?」と思う。
この本には「世界の終わりという名の雑貨店」「ミシン」という2つの中篇がおさめられている。先に入っていた「世界の...」を読んであれっ、と思う。主人公にして語り手の「僕」は20代後半の青年だ。少女じゃない。この「僕」が出遭った、Vivienne Westwoodの服に身を包んだ少女の物語は、テーマが少女ではなく「僕」にある。あれっ、変だなぁ。なんだか普通の小説のようだ。物語はひっそりと進行し、辛い別れで終わる。なんだか思念が不充分な感じ。
「ミシン」は、ミシンという名の少女に憧れる「私」の物語。ストーリーは荒唐無稽だが、最後にミシンの気持ちがくっきりと描かれ、破綻なく物語が締めくくられている。すごい。「世界の終わり...」がVivienne Westwoodの物語であれば、この小説の狂言回しはMILKというブランドの服だ。いずれの小説も服がテーマを語るのである。
もっと、読者を選ぶ超耽美的小説をイメージしていた割には、まっとうな感じの小説だったが、まぁ、好き嫌いはあるだろうなぁ。もう何作か読んでみて、自分なりの評価を作りたい。
この本も職場のTちゃんにお借りした。今年は随分Tちゃんのライブラリにお世話になった。感謝感謝。

ちなみに作者の公式HPはこちら。
http://www2.odn.ne.jp/~cdj07210/
壁紙のセンスが今いちと思うのだが。これって「乙女」か? ちょっと違うと思うぞ。

2001年06月25日(月) 東野圭吾『秘密』(文春文庫)

秘密 秘密

著者:東野 圭吾
販売元:文藝春秋
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映画化されたことでも有名な『秘密』、待望の文庫化。東野圭吾は初読み。
杉田平介は、スキーバスの事故で妻直子を失う。一人娘の藻奈美は、命をとりとめるが、意識不明。娘が覚醒すると、何故か妻の意識が娘の身体に乗り移っている。娘の身体をした妻と、平介は暮らし始める...。

映画のキャストのイメージが強いので(例によってキャストは文末に)、最初、藻奈美が小学5年生である設定に驚いたが、実はタイムスパンの長い物語で、藻奈美は小5から最後は25歳まで成長する。

既に36歳だった直子は、外見上は小学生でしかない。小学生から、再度人生を生き直す決意をした直子は、「自立できる女性になってほしい」と娘に託した夢を自ら実現するため、中学受験し、更に高校で受験しなおし、医学を目指すようになる。学資となるのは、皮肉にも、自分の肉体がうしなわれた際にバス会社から得た補償金だ...。
一方、平介は、バスの事故の原因となった、運転手の過密勤務の原因を探る。死んだ運転手は、妻にも隠して何にお金を遣っていたのか?
また、高校生になった妻の異性関係を平介は疑うようになる。娘の姿をした妻の高校生活への嫉妬...。
さまざまな要素が絡み合いながら、時は流れ、色々な関係者が、色々な人生の新天地へ進む...。

急に、自分の心と異なる身体にやどることになる戸惑い、という面では、北村薫『スキップ』の方が微細に描いていて、上手かったが、まぁ、この物語の主役は直子ではなく平介だし、そこが肝ではない、という感じか。
あと、双子の親として大変気になったのが、バス事故で双子の娘をうしなった男性のエピソード。被害者の会で、彼はこう言う。「同じ死に顔をしていました」「どちらか一方でも生き残ってくれればね、もう一人のほうも一緒にいるような気になれたと思うんですけどね、」これは、双子の親やったことのない人の書く大嘘です! 些細なことなんだが、この書き方は許せん。特にこの双子の父親は物語の終盤でまたちょっとしたエピソードがあるだけに、ますます違和感があるなぁ。

と、ちょっとけなしてみましたが、ラスト、「秘密」の意味がわかる部分にくると、じわーーーーと込み上げてくるものが止められず、電車の中で涙をしぼってしまったわたしだった。やはりこれは一つの名作ではある。
さて、行あけて映画のキャストを書くので、ネタバレ了解の方だけご覧下さいまし。




















平介:小林薫
直子:岸本加世子
藻奈美:広末涼子
(あとは知らないっす~)



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