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2006年3月31日 (金)

山田庸子『切手で旅するヨーロッパ』

切手で旅するヨーロッパ 切手で旅するヨーロッパ

著者:山田 庸子
販売元:ピエブックス
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何故か、自分の日記のアクセス解析を見てたら、最近この本の検索で来る人がすごく多いのである。タイトルで来る人が多いが、作者の名前で来る人もいる。

本屋の店頭で見かけて、ぱらぱらやって、可愛いなー、と思い、出版社がピエ・ブックスという、わたしの好きなセキユリヲの本をいっぱい出しているところだったところなども決め手となって、購入に至ったのだが、別に真剣に読んだ訳ではない。

昨夜も寝る前にぱらぱらっと見たけれど。昨日の夕刊に目白の切手の博物館という施設の案内があったので、切手いいよねぇ、と思ってぱらぱら見ていた訳です。

切手大好き! 日本橋の三井記念美術館の切手の展示も、スペースはそんなに広くないけれど、とても楽しかったです。

ついで、というと失礼にあたりますが、山田庸子さんのblogへのリンクも貼っておきましょう。

I'm going on a BearHunt in Berlin

わたしがこの本を買った日の日記はこちら

2006年3月23日 (木)

リリー・フランキー『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』(扶桑社)

東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~ 東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~

著者:リリー・フランキー
販売元:扶桑社
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リリー・フランキー『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』(扶桑社)を、読み上げる。うーん、予想以上に淡々とした話であった。わたしがこの作者について殆ど何も知らず、先入観がないせいか、作者が同世代のせいか、逆に感慨が薄い。作者で作品を評価すべきでないというのはわかっているが、だとしたら、作品単体として、わたしは予想以上にこの物語に動かされなかった、ということになる。mixiに7000件以上もあがっているレビューの直近分をちょっと見てみたが、すんごく評価高いのに、逆に違和感。

主人公オカンは実に筋の通った人で、とても格好いい! きょうだいの仲もよく、子どもにも大切に思われ、ほんの数年一緒に暮らしたきりで、後はずっと籍は抜かないまま別居していたオトンとの関係も、決して冷え切っただけのものではない。目に見える生涯をなぞると、幸福そうな感じはせず、いつも生活に追われている感じなのだが、美味しいものをきちんと食べていれば、それが生活の基本になる、という考え方を、死ぬまで貫き通してるのが格好いい。

このところ糠漬け文学づいているが(宮本輝『にぎやかな天地』→梨木香歩『沼地のある森を抜けて』→リリー・フランキー『東京タワー』は糠漬け文学の系譜の上につらなっている、とか言ったら笑えるよね)、このオカンが、季節や、中に入れる野菜の種類により、中に入れておく時間を微調整し、時には、今入れると時間的に一番おいしくあがる、という時刻を逆算し、真夜中に目覚ましかけて、一旦起きて野菜入れて糠床をかきまわしたり、という記述を読んで、そういうところで圧倒されていた。

物語全体としては、突然現在の目で語りが入って、そういうところにけれんがあるのがどうにも気になる...そして、事実に基づいているせいか、これといったヤマがなく(あまりに淡々)、しかも、オカンにせよボクにせよ、苦境を乗り越える部分が、そこは小説の主眼じゃないとばかりに軽く流され、努力による現状打破、みたいなことがよくわからない。そういうところがちょっと弱く感じられたのだが...。

最後の臨終前のシーンとか、葬式のシーンとか、忘れまいとばかりに詳細に描かれ、そういうところにはリアリティがあったが、残りページ数を睨みつつ、そろそろ泣けてくるか、そろそろ泣けてくるか、と自分をあおっても、なんか、そんなに泣けるところもなく、気づいたら物語は終わっていた...。うーん、これって、わたしが母親に対する息子という立場にないから? 母親として子どもに愛情を注ぐことは、自分なりに当然のことなので、それをこうしてたたみかけるように有難がられても、それほどのことじゃない、と思ってしまうのか? アフォリズムのように、子の親に対する愛、子が感じる親からの愛、について語られているのはそれなりに説得力あったが...。すみません、わたしは手放しで賞賛は出来なかったです。

2006年3月22日 (水)

高村薫『新リア王』上下・新潮社

新リア王 上 新リア王 上

著者:高村 薫
販売元:新潮社
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新リア王 下 新リア王 下

著者:高村 薫
販売元:新潮社
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2006.3.2の日記より:今日から高村薫『新リア王・上』(新潮社)読みはじめる。愛ルケの前に日本経済新聞に連載されていたが、挿絵に倒錯疑惑かなんかが発生し、その後、新聞社側と何かトラブルも発生して、連載が打ち切られてしまったこの小説は、レンブラントの絵の装丁で、新潮社から単行本になった。『晴子情歌』(上下、新潮社)に続く、大河小説(全3部になるらしい)の第2部。晴子の息子彰之の元を、彰之の実父福澤榮が訪れ、榮を取り囲む政治的状況について、そういった世界と無縁の息子に、問わず語りに語る。福澤家に近い部分だけ、架空の名前になっているが、あとの部分は政財界の実名を出した小説で、だからこそ新聞連載で問題が発生したのかもしれない。込み入っていて、なかなか進まない。返却期限までに読めるのか?

2006.3.14の日記より:読み始めの時にも書いたが、これは『晴子情歌』(新潮社)に続く、大河小説の2作目(じゃあ3作目の主役は誰になるんだろう?)。70代半ばの老いた代議士。分刻みのスケジュールをこなし、各方面に目配りし、如才なく、自分の王国を築き上げている老王。その王国は盤石に見えたが、実際には、政争の具として、その一角を崩され、それでもそれまで築き上げてきたものによって、見た目は状況を維持したかに見える。しかし、王は結局、自分が若い頃からずっと、何も信じていなくて、やっていることは自分の理想の実現ではなくて(そもそも理想とは何?)、でも王国を維持しようという強い意志でここまでやってきたが、その王国は誰にも絶対的な信奉を受けてはいなかったことを、最初からある程度わかってはいたつもりだったが、あまりにも完膚なきまでに幻想を打ち砕かれることとなる。その経緯を、虚実ないまぜた1970~80年代の政治史の中で、モノローグとして語る。最初は、父と同じくらいの存在感を持っていた婚外子彰道は、だんだんたよりなくなっていき、最終章ではフェードアウトに近い状態。王=福澤榮の孤独だけがこれでもかこれでもかと描かれる。でもそれは悲哀ともちょっと違う。代議士も秘書達も息子や妻や支持者たちも、それぞれに孤独で、自分の分を見据え、その場その場で最良の選択をしているつもりで、でもそれはすっきりともしていないし、誰も信じていない。誰も幸福そうに見えず、でもそれよりよい生き方も見つからない。更にこの人たちの上に、日本という国を動かそうとする人の意思がある。その中で、現在のリア王は道化たちに向かってひたすら語り、物語は終わって行く...。救いがない、というのともちょっと違う、不思議な物語。自分の20年前のことを漠然と思い返しつつ、こんな人もいたのだろう、と、考える。

2006年3月20日 (月)

英国中上流階級と多産

ライオンと魔女 ナルニア国ものがたり(1) ライオンと魔女 ナルニア国ものがたり(1)

著者:C.S.ルイス,瀬田 貞二,C.S. Lewis
販売元:岩波書店
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Book ツバメ号とアマゾン号

著者:アーサー・ランサム,岩田 欣三,神宮 輝夫
販売元:岩波書店
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風にのってきたメアリー・ポピンズ 風にのってきたメアリー・ポピンズ

著者:P.L. トラヴァース
販売元:岩波書店
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帰ってきたメアリー・ポピンズ 新版 帰ってきたメアリー・ポピンズ 新版

著者:Pamela Lyndon Travers,P.L.トラヴァース
販売元:岩波書店
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とびらをあけるメアリー・ポピンズ とびらをあけるメアリー・ポピンズ

著者:Pamela Lyndon Travers
販売元:岩波書店
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公園のメアリー・ポピンズ 公園のメアリー・ポピンズ

著者:P.L. トラヴァース
販売元:岩波書店
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映画「ナルニア国物語」を見て来ました。
原作に忠実に作られていて、よくも映像化したものだと、感心しながら見ました。

原作ものなので、ネタを割りますが、この物語の主要なテーマのひとつはきょうだいの相克です。
長男風を吹かす兄ピーターへの、次男エドマンドの憎悪心が、ナルニア国の中で、悪につけ入られる隙となり、ナルニア解放への道を困難なものとします。

昔から、ナルニア国物語を読んでいて、ピーター、スーザン、エドマンド、ルーシーのペベンシー4きょうだいを見ていると、思い出したのは、アーサー・ランサムの「ツバメ号とアマゾン号」シリーズに出てくる、ウォーカーきょうだいの、ジョン、スーザン、ティティ、ロジャーです。次男と次女の順番が逆なのと、年の離れた5人目ブリジットがいるところがちょっと違うけれど、どちらも、きょうだい関係が小さな社会の構築になっているところが似ている。
20世紀前半のイギリスにおいて、中上流階級であるということは、どんどこ子どもを産んで増やせ、ということだったのだろうか? もう一作、やはりわたしが大変familiarに育ったイギリスの児童文学、メアリー・ポピンズのシリーズをとっても、これは第2子と第3子の年齢がかなり離れていて、人間関係的には上記2シリーズとは随分違うけれど、やはりジェーン、マイケル、ジョンとバーバラ(この2人は双子)、更にアナベル、と乳児を含む5人きょうだいです。

子は宝、だったのかしらん。

2006年3月 2日 (木)

2002年02月04日(月) 白川道『海は涸いていた』(新潮文庫)

海は涸いていた 海は涸いていた

著者:白川 道
販売元:新潮社
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わたしは、作者についてはなんの基礎知識もなく(カバー裏の作者プロフィールも読まず)まずこの本を読んだのだが、解説に、作者の人となりが書いてあった。これは読まずにまず小説を読んだ方がいいかなー、と思った。
ぐいぐい読んだ。途中でやめたくない、という力のある小説だった。

主人公伊勢孝昭は、自分の過去を封印して生きている。強い精神力を持ち、ストイックに生きていたのに、街角での偶然の出会いから、伊勢を取り巻く人々の人生が少しずつほころびていく...。
作品の中で、少しずつ伊勢の過去の人生が語られていく。その語りは意外にためた感じでなく(ああ、早く知りたいっ、と渇望するより前に種あかしがされる)、また母の死のくだりがちょっと弱いかな、と思ったが、真摯に生きてきたのに周囲の状況が彼に堅実な人生を送らせなかった理不尽さが、淡々と再現される。彼の周囲にいる人間で彼を嫌ったり憎んだりしている人は誰もいない。なのに、同じ拳銃が三たび使われることとなり、すべての登場人物が不幸な方へ向かっていく。

小説の後半の主人公は、拳銃殺人を追う警視庁の佐古警部に移る。
読者が、伊勢の回想の中で少しずつ知っていった伊勢の過去を、佐古は偶然や直感でどんどん手繰り寄せていく。ちょっと都合よすぎないかい?、って気もしたが、佐古の存在意義は、佐古が出来る限り多くの人を守ろうとして選んだ結末(伊勢が作ったシナリオを、佐古はあえて見守る)にある。また、佐古が事件の蚊帳の外にいようとするいいところのぼんぼんを一喝するシーンも素晴らしかった。
伊勢の私生活はすごく抑えた感じでしか描かれておらず、佐古の生活の方が緻密に描かれている(警部の私生活を描いている感じはちょっと宮部みゆきっぽい)。

あまりに異世界の物語なので(ひとことで言ってしまえば、これは児童養護施設出身者とヤクザの物語である)、特に感情移入した登場人物はいないのだが、伊勢や、彼を巡る人々の幸福を祈りながら読まずにいられない小説だった。
ラストは、本当に泣けた。

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