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2007年1月12日 (金)

『未来をさがそう』レビュー 

『未来をさがそう』レビュー / 2005年11月22日(火)
東倉洋一責任編集『未来をさがそう』(ダイヤモンド社)に関するレビュー。
(同じ文章をamazonの書評と、mixiのレビューにも投稿してあります)

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帯には「変化する情報化社会の『今と未来』を考える“新しい窓” みんなで語り、みんなで学ぶ情報教育のテキスト」と書かれている。小学校高学年の子どもに、情報化社会のい「いま」を伝え、未来について考えるきっかけ作りとなることを目的として書かれた本。
これからの世界でなくなるといいな、と思うもの(迷子、犯罪、病気など)、なくならないでほしいもの(友だち、死の実感、季節感など)、どっちがいいのか考えてみてほしいもの(学校、病院、お年寄りの世話など)、今後どうなるのか考えてみてほしいもの(お金、会議、自家用車、会社など)の4つのテーマで、現在のテクノロジーについて紹介し、今後の展望を語っている。
テーマによって、2005年の現状を伝える社会史のテキストのようでもあり、文明論的になっている部分もあり、色々考えさせられる。
この本が書いている「今」と「未来」について、自分なりに咀嚼し、自分なりの見解をもって、子どもと一緒に読みたい、そんな本である。
1テーマが見開き2ページで読みやすく、緑を基調とした装丁もきれいで(再生紙、植物性インク等環境に配慮した素材を使い、環境教育にもなるように考えられている)、少しずつ、それぞれのテーマについて考察しながら読み進めたい本。
おそらく、ほんの数年のうちに技術革新が進み、現状と見合わなくなる部分が出ているテーマもあるとは思うが、それでもなお、これからの時代について考察するヒントになると思う。
電話、テレビ、コンピュータ、電池の歴史について書かれたコラムも、わかりやすくまとめられている。

村上春樹『東京奇譚集』(新潮社) 

村上春樹『東京奇譚集』(新潮社) / 2005年09月26日(月)
mixiのレビューに書いたものをそのまま転載。<ちょっとネタバレあります>

こんなに本に引き込まれたのはいつ以来だろう、と思う位集中して読む。ここ数年の村上作品の中では、わたし的にはベスト。
5つの短編が収められている。4編は「新潮」に掲載され、最後の「品川猿」だけ書き下ろし。みんな最初の作品「偶然の旅人」みたいに、作家である僕が人の話を聞いてまとめた、という形式をとるのかと思ったら(『回転木馬のデッドヒート』みたいに)、一つ一つ、語り口も、人称の取り方も違った。しかし、どの作品もすごくいい。村上春樹の短編集は、最近のより昔のが好きで、ずっとマイベスト短編集は『中国行きのスロウ・ボート』だったのだが、今回はそれに匹敵する魅力があった。
親子の相克とか、生きることの辛さとかは、こちらが年を取ってきたせいか、昔より身に迫るものがあり、村上春樹の小説の登場人物として、小ぎれいでおしゃれで、現実感がなくて、という感じでなくなってきたのに、非現実的な世界にトリップしている感じがたまらない。そして、登場人物たちがみんな、何かを「引き受ける」選択をしているところが、5つの短編の共通のテーマか。奇譚、というぱっと見グロテスクな表象の世界にとらわれず、何かを受容し、そのことで自分自身が救われる部分が、かくもわたしの心に響いたのか。
3編目「どこであれそれが見つかりそうな場所で」では、主人公は依頼主の探していたものを見つけられずに終わるが、これは、何か、もっと長い物語への布石なんだろうか? ちょっと期待。
逆に、探し物に明快な回答が与えられた「品川猿」は、これで完結してしまったようなさびしさが。
「偶然の旅人」には超常現象は一応ないが、後ろの話ほどミステリアスに(あ、「日々移動する腎臓のかたちをした石」は違うか...)。謎解きをしたいような、でもしたくないようなしてはならないような物語たち。もう一度、噛み締めて読みたい。

物事は多面的に見なくては

物事は多面的に見なくては(前振り) / 2005年07月13日(水)
わたしは、小学校5年生の時に、父の仕事の都合でアメリカに引っ越した。
外国とはわたしにとってどういう場所かというと、日本語の図書が容易に入手できない場所であった。
勿論日本語の本を売っている本屋はサンフランシスコまで行けばあったが(五車堂という雑誌中心の小さな店と、かなり広い紀伊國屋書店)、わたしの住んでいた場所からは車で1時間ちょっとかかった。気軽に歩いていって、自分で棚から欲しい本を選べる、という環境はなくなるということだ。
なので、渡米前に、両親はわたしに段ボール一箱分位の本を新たに買い与えてくれた。何故か、本の選択にはわたしの意見は参考にされた記憶がない。見計らいで買った本が一山。勿論わたしの読書のパターンはある程度読めていたと思うので、そんなにはずれはなく、わたしはその時買って貰った本はアメリカ滞在中に1冊残らず読んだ。複数回読んだ本の方がたぶん多いだろう。
そうして買って貰い、何回も繰り返し読んだ本の中に、鈴木三重吉が編集していた児童雑誌「赤い鳥」の傑作選3冊組があった(何故か出版社は覚えていない...あまり有名な出版社ではなかったのかな)。芥川龍之介「蜘蛛の糸」「杜子春」のような有名どころを初めとして、「赤い鳥」が初出だった小説や詩(北原白秋など)、更に児童の投稿作文なども少しおさめられていた。
(という訳でテーマに到達出来ないまま次項に続く)
物事は多面的に見なくては(本論) / 2005年07月13日(水)
3冊組の「赤い鳥」傑作集の中に、「ある日の鬼ヶ島」という作品があった。作者も覚えてないのでそんなに有名な作家ではなかったのだろうと思う。
インターネットで検索しても1件もヒットしない。
でもわたしにとっては大変印象的な作品だった。
ある日、鬼が鬼ヶ島でのんびり過ごしていると、向こうから舟がやってきて、小さい男の子と動物が乗っている。勝手にやってきて、勝手に暴れて(それも男の子はかけ声をかけているだけで、手下の動物たちに乱暴狼藉を命じていた)、自分たちの財宝を取って帰っていってしまった、という物語。
鬼の世界から見れば、桃太郎の方が勝手な侵略者だった、という物語。
これを読んでとても驚いた。
勿論、それまで、桃太郎が正義で、鬼が悪、としか考えたことはなかったのだが、それは一面的なものの見方に過ぎない可能性がある、ということを知らされたからである。
その後、芥川龍之介「藪の中」等、見る人の目によって、同じ物事が全く違った価値判断をされる可能性がある、ということは徐々にわかってきたのだが、その原点として、忘れられない作品となった。

とはいえ、この「赤い鳥」傑作集、一緒にまた海を渡って帰国し、しばらくはわたしの本棚にあったと思うが、その後、どこへ行ってしまったのか。もしかしたら、今でもわたしの実家のわたしが使っていた部屋の天袋かどこかにあるのかもしれないが、もう数十年触れていないことは確か。
で、今日、昼休み本屋さんに行って、たまたま講談社文芸文庫の『日本の童話名作選 昭和篇』というのを手にとって、一体どんな作品が入っているものだろう、と目次を見て驚いた。冒頭に入っていたのが、江口渙「ある日の鬼ヶ島」だったのである。
(この項もうちょっと続く)
物事は多面的に見なくては(その後) / 2005年07月13日(水)
講談社文芸文庫は、名作の安定した供給を目指しているため(容易に絶版にしない方針)値段が高く、330ページそこそこの文庫本が税別1300円もしたのだが(涙)、あまり迷わず買い。有名なところでは宮沢賢治「グスコーブドリの伝記」、太宰治「走れメロス」など。作家でも川端康成、坪田譲治、室生犀星など、有名どころが色々。
その巻頭に、Google君で1件もヒットしない(2005.7.13現在)「ある日の鬼ヶ島」が来るとは。「赤い鳥」昭和2年10,11月号所収。

久々に目を通してみて、細部はやっぱり忘れているな、と思った。この日、鬼ヶ島ではお祭りと運動会をやっていて、海岸で桃太郎一行を出迎えたのは、老人と赤ん坊の鬼ばかりで、大人の鬼が戻ってきたときにはもう桃太郎たちは引き揚げた後だったのだ。で、当然鬼たちは怒り狂ったが、今更どうしようもない。
「全くだ。おれたちの留守をねらって来るなんて、いわば空巣ねらいも同様じゃないか」などというせりふが可笑しい。
何年かたって、風の噂に、小さな子どもが鬼ヶ島で鬼退治をして宝物を奪い取ってきた、という話が鬼の耳にも入り、鬼はまた激怒。桃太郎は何も戦っちゃいないのに!
「全くいやになっちまうな。一ばん命がけで働いた犬が格別ほめられないで、ずるくばかり立ち廻った桃太郎が一ばんみんなに褒められるなんて、ばかばかしくってお話にも何にもなりはしない」
「まあ、そう怒るなよ。それがあさましい人間世界のならわしなんだ」
「そうかなあ。まじめに働いたやつが少しも得をしないで、ずるく立ち廻ったやつばかりが一人で甘い汁を吸うのが、それがほんとに人間世界のならわしなのかい。それじゃこうしてお互に正直一方に働いては仲よく助け合っている鬼ヶ島の方が、どれだけましだか比べものにならないね」
「そうだとも、人間の世界なんてほんとにろくな世界じゃないさ。そう思うとこうして鬼ヶ島に住んでいる方が、どれだけ有難いか知れない」(pp.25-26)

そうか、この作品は、文明風刺だったのか!

エッセイと小説

 エッセイと小説/ 2005年06月28日(火)
えーと、自分の日記に、「どうしても、エッセイは小説より読むのに時間がかかるし、文章の中に入り込みにくい」と書いたところ、zebraさんから、「そこんところじっくりききたいんだけどなあ」とリクエストをいただきました。

この日記を書いたとき、わたしが読んでいた、恩田陸『小説以外』(新潮社)は、文字通り、今まで小説しか単行本化してこなかった恩田陸が、色々なところに書いた、小説以外の文章を拾い集めて1冊の本にしたものです。雑誌などのリレーコラム、他の人の文庫本の解説、新刊を出したときにPR誌に書いた紹介文等、いずれも1~4ページ程度で完結する、短いエッセイの集積です。
そのため、この本の中に入っているのは、数ページ単位で完結する、非連続的な文章の集まりで、わたしのふだんの読書の場である電車の中で一気読みしていると、あまりに文章の単位が切り刻まれている感じがきつい...。どうやらわたしは、ふだんの読書って速読に近い読み方をしているようで、ページ全体のイメージをとらえられたら、もうページをめくって次に行き、そうやって、物語の展開をざっと把握して最後までいっちゃっている。考えてみれば邪道だが、そうやって、色々な物語を自分の中に取り込みたい(結果として、きちんと取り込めるものと、取りこぼしていくものが出てくるんだけれど)。
短いエッセイ(それも例えば雑誌にずっと連続して掲載していたりするのではなく、色々な性格の文章を時系列に収録している)を読んでいると、1項目ずつ、きちんと向き合って、作者の話を聞いてあげなくてはいけない、そういう感じが、今のわたしにはちょっと重いのかも、というのがわたしの印象です。
しかも恩田陸は、生まれながらの物語作家という感じで、自分について語るのがそんなに得意ではないようです。小説の付随事項として、作家個人のことに興味がなくもないけれど、彼女の場合、それは必須でない、というのも、この本を読んで感じたことです。

「トニー滝谷」

「トニー滝谷」(1) / 2005年06月24日(金)
2005.6.23のNoticesより映画に関する部分を抜粋。
(最後にちょっとだけどうでもいい付け足し)
リンクを貼ったblogにトラバするのが目的ですが。(^^;)
ああー、字数オーバーしたので分割しますぅ。

映画「トニー滝谷」は、もともとCMディレクターとして有名だった(禁煙パイポとかタンスにゴンとか)市川準監督(映画監督としてぱっと思い出す作品は「TUGUMI」かな。牧瀬里穂と中島朋子)が、脚本・監督を手がけた映画で、春先に新宿と渋谷で上映していたとき、見たい見たいとずっと思っていたのに、結局映画のために都心まで出てくる時間の余裕を作れず(その分飲み会控えればいいぢゃん>自分)上映終了してしまったのだが、今週、4回だけイクスピアリのシネコンで上映されることになり、今度こそ見ようと、子どもをYYさんに頼み(一昨日と今日が18時半からの上映、昨日と明日が10時50分からの上映で、結局友達の好意に甘えてしまった...)、久々に行って来ましたイクスピアリ。
(中略)
「トニー滝谷」は、「イクスピアリ・ムービー&ファン」というイベントの一環での上映なので、なんと映画料金は800円であった。4回しか上映がないので、一体どの程度混むのか全然読めずに入ったが、まぁ、ほどほどの大きさのシアターで、スクリーンを無理なく見える場所はすかすかでない程度に埋まっている、という雰囲気(上映時間ぎりぎりでも、人にちょっと譲ってもらって列の中の方に入れる、という感じ)。映画の予告編は「フライ・ダディ・フライ」「大停電の夜に」の2本しかやらず残念。

(映画部分には全く触れられないまま(2)に続く...)
「トニー滝谷」(2) / 2005年06月24日(金)
さて映画。とても淡々とした映画だった。色彩もモノトーン中心で、静かな感じ。西島秀俊が出来るだけ抑揚を排除して、原作の地の文を読み上げていく(今朝原文を読んだばかりなので、自分の記憶も平行して物語を読んでいた)そして、その読み上げている文章の最後の部分を、画面の人物がくみ上げるようにナレーターから引き取って淡々と文章を言う。時間の経緯が、画面を右から左にずらし、一瞬暗い部分を通過させ、次のシーンに移るという場面転換。見晴らしのいい丘の上に仕事場兼住居を構えたトニー滝谷の光にあふれた生活。イッセー尾形が父省三郎役も演じ、また、自分自身を大学生時代から演じるのだが、髪を伸ばして一心不乱に絵を描いているイッセー尾形、勿論全然大学生には見えません。でもイッセー尾形の物まね芸の一環、みたいに見えるところがすごい? そして宮沢りえ...。小説中では名前を与えられていないトニー滝谷の妻そして、彼女の死後秘書募集に応募してくる若い女性の二役演じる宮沢りえは、ちゃんとキャラクターによって雰囲気を演じ分けていてなかなかいい。洋服を身にまとうために生まれてきたような、という感じがきちんと出ていて、どの服を着ていても宮沢りえは魅力的。買い物三昧するシーンでは、彼女の足元だけを映し、ミュールだのパンプスだのショートブーツだのロングブーツだの、カモシカのような細い細い足がとてもきれいに撮ってあって、ため息が出る。20歳頃の彼女の輝くような美しさから、怖いほどの拒食の顔を経て、まだ彼女はやせすぎだと思うが、なんて深くて美しい顔をしているんだろう、としみじみ思う。そして、秘書に応募してきて、彼女が遺していった服を見て泣く女性は、きちっと野暮ったさを出し、でもはっとする位繊細で美しい雰囲気も出ている。細かい設定はちょっと変えてあるし、また、最後の部分で、原作の末尾の文以降の物語を作ってしまっているところは評価の難しいところだが(手袋をあげようとするおばさん=木野花のシーンとか、パーティーで妻の元彼と会うシーンとか。後者はピリっと効いていたが、それは村上春樹的ではなく、これは市川準の感性か)、原作を忠実に映像にしているという意味で、大変すてきな映画だったな、と思う。
(なんとまた字数オーバー(3)に続く...)
「トニー滝谷」(3) / 2005年06月24日(金)
木野花の出演シーンがわからなくて探していたら見つけたblog。結構情報満載でいいかも。
ちなみにわたしは池袋の「文芸地下」という映画館で「風の歌を聴け」と「パン屋襲撃」は見た。「パン屋襲撃」「100%の女の子」のDVDはちょっとかなり欲しいかも。山川直人好きだし。
昨日のNoticesには書き忘れたが、坂本龍一の音楽もよかった! なんで村上春樹の小説にはああいうさびしげな音楽が似合うんだろう? にぎやかなのは途中、省三郎がライブハウスでジャズバンドと演奏しているシーン位だったよね...。
宮沢りえが、かわった形のサボテンの世話をしているシーンも好きだったし、彼女の死後、イッセー尾形が霧吹きでサボテンに水をかけようとしたら、霧吹きが壊れてしまってうまく水が出ない、という感じも、さびしくてよかった。
無機質にきれいに片づいた家が、主婦を失ったあとも保たれているところなんかも、この映画の現実感のなさが現れていて(うちではありえない美しさ・笑)よかった。
村上春樹の小説世界はやっぱり現実的じゃないんだよね。その辺が、再現出来ているところがこの映画の評価を高めた? 「風の歌を聴け」がファン受けしなかったのは、村上春樹世界にしては生々しくなりすぎたからかも。大森一樹の作品、と思ってみれば好意的にとらえられたんじゃないかな。

コメント
NEOさん、おひさしぶりです。その節はお世話になりました。
今さらですが『トニー滝谷』のエントリーを拝見したので、TBさせて頂きました。本当にいい映画だったと思います。
Posted by:マホ at 2005年08月19日(金) 18:53


天童荒太 『家族狩り』

天童荒太 『家族狩り』 / 2004年08月06日(金)
幻世(まぼろよ)の祈り―家族狩り〈第1部〉
遭難者の夢―家族狩り〈第2部〉
贈られた手―家族狩り〈第3部〉
巡礼者たち―家族狩り〈第4部〉
まだ遠い光―家族狩り〈第5部〉
(天童荒太・新潮文庫)

1995年に新潮社から1冊の単行本として出版され、山本周五郎賞を受賞した『家族狩り』、ずっと文庫に落ちたら読もうと楽しみにしていたのに、一向に文庫にならず(これほど文庫化を待ったのは椎名誠『アド・バード』以来)、とうとう、図書館で、他館から取り寄せ依頼して単行本を読んだのが昨年9月。
まずは昨年9月に単行本を読んだときの感想を書いておく。
<ここより昨年の日記引用>
作者プロフィールのところに、「想像力の限りを尽した凄惨な描写には定評がある」なんて書いてあって、ところどころ、読むに耐えないくらい恐ろしい惨劇のシーンが克明に描かれているのがこわいのだが、でも本当に怖いのは、むしろ、人間の心に巣食う病巣かも、というのが天童荒太の作品の基調である。『孤独の歌声』(新潮社)でも、『永遠の仔』(幻冬舎)でも、家族関係の形成がうまくいかなかった結果としてのトラウマや犯罪が描かれているが、この『家族狩り』の中にもそうした、人格形成以前からの家族関係の結果として、自分の配偶者や子どもとうまく向き合えない人たちが沢山描かれている。結局、2段組562ページの大著を、金曜と土曜とかけて読み上げたのだが、中盤で、この人があやしい?、と思った人は結局予想たがうことなく本当に怪しかったのだが、いわゆる動機については、本当に最後に来るまでわからず、これは犯人探しではなく動機探しのミステリーだったのだな、と思った。人間関係が妙に密すぎて、不自然な感じがする、というのと、主要登場人物について、やや強運に描きすぎの部分が、なんとなーく気になったが、やぁ、本当に恐ろしい本でした。人はこの本を読んで、「うちの家族はここまでひどくないわ」とか思って安堵するのだろうか? そうでも思わないと怖くて読んでられないかも。山本周五郎賞受賞作として、発行から8年、一向に文庫化されないのが気になるところだが、文庫になって軽々しく読む本でもないのは確か。
<昨年の日記の引用終わり>
コメント
確かに! フォント細かいねぇ(言われるまで気づいてなかった)。 編集画面はでかく表示されるんだもん。

天童荒太は、これまでの作品の殆どすべてで、恵まれない家庭環境に根ざした異常犯罪・精神の崩壊を描いてきている。
それが作者の主張したい部分なんだろうなぁ、と思うが、本当に読んでいてきついです。
まだ文庫版の感想書いてないんだけど(^_^;)、95年版より更に、犯人の主張は過激になっていて、子どもに自分が愛されていないかも、と一瞬でも思わせる隙を見せてはいけない、みたいな感じで、作者はそこまで主張してないかもしれないけれど、それに近いものが...。
Posted by:NEO at 2004年08月11日(水) 12:01

 うーん、この本は私読めないと思った。読んでいないのにも関わらずあえて言わせてもらえるならば、家族関係の形成の不具合=トラウマや犯罪という図式がひっかかるのです。トラウマや犯罪の要因がイコール家族関係の形成の不具合となるのか?ということ。小説の中の一つの説明としてはあり得るけれど。傷(トラウマ)がいつも欠損になってしまうのかなあ、と。
 読んでいないのになんだけど、読めない理由を書いてしまいました。

 ところで、ヤプログはフォントが細かいので、長めテキストの書評blogにはきついかも。ちょいとお節介でございました。
 
 
Posted by:ahiruzebra at 2004年08月11日(水) 11:04

『家族狩り』2004年版 / 2004年08月17日(火)
こないだ感想書きかけている時にシステムダウンしちゃったので、消えちゃった原稿のこと思ってくよくよしていて、今回読んだ2004年版の感想が遅くなった。

ストーリーの基本線は1995年版とそんなに違わないのだが、ラストの犯人の動向が、かなり違ってしまったので、最後の印象はかなり変わった。
小道具的には、95年には所有者がまだ限られていた携帯電話を誰もが持つようになり、喋る・メールする、という用途をどの登場人物も駆使するようになり、それがストーリー進行に大きな影響を与えるようになっている。
紙数が増えた分、95年版では出てこなかった、巣藤や椎村の家族の事情とか、新キャラのケートク(妙に魅力的)とか、游子の祖父の話とか、物語に奥行きを与えているが、正直言って、95年版ですらかなり長かったのだ、あまりに濃く、それぞれのキャラクターの背後まで書いてしまっていることで、読者はちょっと疲れるかも...。
家族が心のよりどころとならないと、人間は不完全な精神を抱えて成長することになる、という基調が、天童荒太のどの作品にも見られるのだが、それを作者は逆に超ラディカルな形で犯人たちに語らせる。誰でも、親が自分に対しておざなりであったり、納得のいかない対応をしたりされた経験を持っていると思うが(それは愛情の不在ということではなく、自分の家族だけに集中力を100%持って生きている訳ではないゆえの対応なんだが)、犯人たちは、親は常に子どもに対して、子どもが不満を持たないような十全の愛情を与えなくてはいけない、という主張をする。それを突き詰めた末の凄惨な犯罪なんだが、その、ねじくれた論理に眩暈しつつ、じゃあ、わたしは家族についてどう思っているのか、どう振舞っているのか、考えれば考えるほどわからなくなる。
短いエピローグで、主要登場人物たちは一応かりそめの幸せを得る。でも、ここが最終目的地ではないのだ、と作者は言っていると思う。
主要登場人物の一人である馬見原のモノローグ的部分が多いのだが、決して自分の幸せを優先させるためのエゴを主張している訳ではないのに、周囲の誰もを不幸にしている状況に怒りすら覚えた。悪人じゃないのに悪人みたい...。95年版より強くなった奥さんの成長が救いか

コメント
>1日20位増えるようになっていて、

そそそ、それはたえこではございませんです~~
それじゃ単なるストーカーになっちゃうぅ
新潮100では『エンジェル エンジェル エンジェル』ちょっと惹かれてます

私が最近号泣したのは「博士の愛した数式」
一瞬だけ数学が好きになりました。(笑)
またお邪魔しますね~~!(^^)/~~~
Posted by:たえこ at 2004年08月21日(土) 00:04

たえちゃん久々~。
ヤプログは携帯では見られないのか!
って、わたしの携帯だとTea Roomも文字化けして見られないのだが...。
「本棚爆撃」、カウンタのメモを取ってあるのですが、更新しなくなってずっと1日に2,3しか増えてなかったのが、この数ヶ月1日20位増えるようになっていて、これってたえちゃんが全部回したの? よくわかんない...あっちは最近全然更新してないのに。
わたしも、「新潮文庫の100冊」が発表されて、『家族狩り』とか『エンジェル エンジェル エンジェル』とか、新刊当時に買ってしまったのが入っていて、Yonda応募券付きの帯がもらえず悲しかった...で、仕方なく(?)乃南アサ『涙』を買ったのですが、これはこれで面白かったです。(^_^) Yondaくんブックマーカーもゲットしました。
「追記」ですね、次回長くなりそうな時に試してみまする。
ではまたお待ちしてます。(^_^)
Posted by:NEO at 2004年08月20日(金) 14:59

こんにちはー!NEOさんファンクラブ・長崎支部()の
福山たえこでーす!
本館とTea room方はケータイでみてるので(auで使い放題なので)
全然BBSにもお邪魔できず、ご無沙汰しておりますm(__)m
ヤプーズはケータイでは見れないのでお邪魔しに参りました
NEOさんの本のおはなし、会社の頃から大好きだったので
「本棚爆撃」、実はカウンター回してたの私だったりして(^^ゞ
こうしてまとめて拝読できるの、うれしーです
たえこも現在「家族狩り」読んでます!
(「マルドゥック・スクランブル」と浮気しながらだから
進んでないんだけど
買うのが割と早くて、帯なしの頃買ってしまったので
プレゼントもらえないのがくやしー、、、、

あ、あとヤプーズは、本文は字数制限あるけど
「追記」のところに書くと無制限に書けるみたいです! 
長くなりそうな時にお試し下さい!
Posted by:たえこ at 2004年08月19日(木) 21:07

ハチミツとクローバー

ハチミツとクローバー / 2004年08月05日(木)
『ハチミツとクローバー』羽海野チカ作・集英社クイーンズコミックス・既刊6巻まで

5巻だか6巻だかが新刊で出たときに、電車の中に広告が出ていたのである。
それまで、そういう名前の漫画があることすら知らなかった。
レディスコミックって手に取ったこともないしさ(掲載誌は「YOUNG YOU」)。
髪の毛のふわふわ長い女の子の絵で、美大を舞台にした恋愛漫画らしい、ということだけがその広告からわかった。普通、電車の中に1つの漫画単独の単行本の広告なんて出ないので、結構印象的だったが、それ見ただけで読もうとは特に思わなかった。

それから、春先に「AERA」を読んでいて、ヨン様人気に派生した記事として、眼鏡をかけた男性の人気が出てきている、というのがあって、その中に「ハチクロ」の真山君が紹介されていたのである。スガシカオの顔写真とかと並んでいて、なんとなく格好よかった。

あとは忘れたけれど、2,3箇所でハチクロの名前を聞いているうちに、なんとなく読んでみたくなった。漫画って、社会現象になったり、ドラマの原作になったりしない限り、漫画雑誌を読まない人には縁のない世界である。そうした中で、複数回、名前を聞く、というのはそれだけでひとつの力を持っている証拠である。

そうしたら、近所の友達が全巻所有していたので、思ったよりあっけなく、わたしはハチクロを手にすることが出来たのであった。

つづく・以下は参考文献(?)

ちょっと重たい紹介サイトはこちら

作者の日記が読めるHPはこちら
ハチミツとクローバー(承前) / 2004年08月05日(木)
前項で参考サイトを挙げたので、概要については省略。

「この恋は空の色に似てるね」というコピーが付いたこの作品。
すれた心で読むと「おめーら何歳だよ!」と言いたくなる純真さ、プラトニックさ。
作品冒頭で最年少のはぐみが18歳、それが最新刊時点で既に22歳になろうとしていて、他の登場人物たちも相応にふけてきているのに、何年たっても少年少女の瞳をしている。

就職して忙しげにしている真山も含め、みんな学校の周りになんとなくいて、なんだか妙に狭いコミュニティの中で居心地よげにしている。
幸せそう。モラトリアムの中にいるようで、でもみんな何かが欠けた家族環境の中にいるようで。
何かを見ないようにしているのを、作品の中で触れないようにしているから、とてもきれいに見えるのか?
わたしたちは、作者が書いたところだけを見て、恋愛の切なさとか高揚感とか、美しさなんかに心を奪われていればいいのかな。
どのキャラも同じくらい好き。誰の恋も同じくらい純粋できれい。
(花山先生は?)
どうもなってほしくないけれど、どうにかなってほしい。
みんないとしい、みんな幸せになってほしい、そんな、物語。
これはユートピア(どこにもない場所)の物語なのかな。

ハウルの動く城

ハウルの動く城 / 2004年07月14日(水)
『魔法使いハウルと火の悪魔―ハウルの動く城〈1〉』『アブダラと空飛ぶ絨毯―ハウルの動く城〈2〉』、共にダイアナ・ウィン・ジョーンズ作, 西村 醇子訳、徳間書店刊。
不思議な物語。1作目は、荒地の魔女に魔法をかけられ、老婆の姿になってしまったソフィーの視点で、2作目は、魔法の絨毯を手に入れたことをきっかけにスルタンの娘と恋に落ち、さらわれた娘を探しに冒険の旅に出るアブダラの視点で物語が進むが、その、語り手的人物以外が、どのような立場で、どのような視点でこの物語に存在しているかが全くわからない、複雑系の物語。誰が善で誰が悪なのかすらわからない。
魔法の出てくる物語を愛読したことのある人にはたまらない世界が繰り広げられているが、その中でめまいがして、読者である自分がどこに進もうとしているのか、わからなくなる。
こんな複雑で魅力的な世界を、宮崎駿は、どのようにビジュアル化して、見た人みんながわかるような映画にするのか? 読んで理解出来なかった部分は、映像化されて腑に落ちるのか? せっかく、表紙以外全く絵のない本で、読者のイマジネーションを信じて作られている本なのに、映画化されて、すべて説明されちゃうと興ざめみたいな気もするが...。

酒井順子『負け犬の遠吠え』 

酒井順子『負け犬の遠吠え』 / 2004年07月06日(火)
酒井順子『負け犬の遠吠え』講談社
講談社文庫のPR雑誌「IN☆POCKET」の連載を1冊にまとめたものらしい。

既に内容については色々な媒体で触れられていて、今更ここで紹介するまでもないが、作者は、自分がそこにカテゴライズされる「三十代・独身・子なし」の女性を「負け犬」と定義し、「勝ち犬」(既婚・子どもありの同世代の女性)と対比し、それぞれの人生のあり方について、色々な角度から語っている。

簡単に片付けてしまうのであれば、いつの世でも、隣の芝生は青いのであり、人間いつでもないものねだりをしてしまうものなんだよね、ということだが、別に作者は自分の「負け犬」人生を恥じたり後悔したりしている訳ではない。人生の様々な局面で、なんとはなしにしてきた選択の数々の結果、今のような境遇に流れ流れてきた訳だが、所謂「勝ち犬」は、自分の人生を計算し、ある意味打算をした結果として、今の境遇にいて、自分の好奇心や本能を優先させて生きてきた人たちが、ふと気づくと「負け犬」になっていた、というトーンが、この本の中には見える。
ある意味、負け犬の方が、ロマンチックでピュア? なので高望みをして、結果として、新たな家族を築くことなく今日に至っている...。
考察で面白かったのは、日本にはカップル文化というのがないため、負け犬が負け犬同士でつるんでいても違和感がない社会が形成されている、というか、カップルが、カップル単位で登場しなくてはならない場というのが極めて少なく、日本人は人生の大半の部分を同性同士で過ごしている(勝ち犬負け犬かかわらず)、という部分。この本の中でも触れられている『ブリジット・ジョーンズの日記』などを読んでもあきらかなように、他国の都市圏(負け犬は、都市部以外の場所では大量発生しない構造になっている)では、負け犬も、負け犬同士だけではいられない場、というのがあり、結果として、負け犬には、恋愛関係にはならない男友達が必須(ゲイであったり、あまりに幼馴染過ぎて恋愛対象にはならなかったり)らしい。

(長くなったので2分割)

『負け犬の遠吠え』(承前) / 2004年07月06日(火)
この本は負け犬も勝ち犬も礼賛していない。見た目華やかで格好いい負け犬は時として空虚な思いにとらわれる時もある。勝ち犬(何回書いても変な響きのことばだね、こりゃ)は、安定した生活に安住しているが、緊張感のない人生を幸せと感じているかはよくわからない。そして、二極化しないと書きにくいので、あえて触れられていない中間的な立場の人、どちらの範疇からもはみ出ている人だっている。結局、二元論では片付かないんだけど、便宜的に分けると面白く読める、ってことだよね。

自分の人生を振り返り、考えると、わたしの勝ち犬負け犬分岐点は、22~25歳頃にあった。
それまで適当に流して楽しく生きていたわたしは突如、呪いにかかったような、男ひでり状態になったのである。
訳わかんない悪循環ループから脱出する手をさしのべてくれたのが今の夫であり、また呪いにかかってはかなわん、と、結婚を急いだ結果、わたしは20代後半で結婚、30代突入直後に出産し、なんだか勝ち犬になってしまったのである。
あそこに何かのきっかけが転がっていなかったら、好奇心体質のわたしは、そのまま負け犬街道を突っ走っていた可能性が大きかった。母とかにも「30になっても結婚していなかったら、自宅を出て自活しなさい」と、負け犬前提の話をされていた。
『負け犬の遠吠え』を読んでいると、パラレルワールドにいる自分を見ているような気がする。きっと誰もが、何かのきっかけで今いるカテゴリーと違う方のカテゴリーにいたかもしれない自分を思い浮かべながら読むのではないか。
コメント
たまちゃんも読んでたよね...。
わたしはこの人の本はこれ1冊しか読んでないのですが、本人なりの論理があるのはそれはそれで面白いと。
小倉千加子の本とあわせて読むと面白い、と人にアドバイスされましたが、まだ読んでないや。

負け犬は好奇心に負け、堅実さをとれない、っての読んでて、それってわたしだよ...と思った。
世が世なら、きっと堂々たる負け犬になっていたことであろう。
「負け犬」「勝ち犬」っていうコピーの勝ちかな。今年の流行語大賞でいい線いくと見た。
Posted by:NEO at 2004年10月06日(水) 14:20

遅まきながら読みました!
IN☆POCKETの連載をまとめたからか、同じことを何度も何度も書いてて、正直途中で飽きちゃいました。酒井順子のエッセーは割りと読んでるんですけどねー。これ以外のほうが私は楽しかったかな。

負け犬と勝ち犬の戦いを単純化するために、キャリア未婚女性vs専業主婦をメインにしているのがつまらなかった原因かも。負け犬ってネーミングがこの本がベストセラーになった理由なのかもしれませんね~。
Posted by:ひろみ at 2004年10月02日(土) 01:27

ある意味乱暴な本ですよね、「負け犬」「勝ち犬」二元論な訳で。現実世界は、もっとスペクトラム状になっている訳で、こんなに決めつけて話を進めても進まない部分もある、って思うんですが、逆に、色んな場に自分の身を置いて、ここは負け犬的な場、とか、ここは勝ち犬率高そう、とか、そんなことを考えていると面白いといえば面白い。

たぶん、これを読んで怒っちゃうような人は、まずこの本を手に取ることもないと思う。茶化し、というか、こういうとらえ方もある、という、参考書のような本かなぁ。
Posted by:NEO at 2004年07月23日(金) 12:14

あ、この本やっと読めたんだ!待った甲斐有ったですか?
男日照りとは、またこりゃ凄い表現だけど、そういう星巡りって
あるんですかねぇ。結婚して子持ちっていうのが勝ち組って
表現は、若干ちゃかされているようで気に入らん。ってか、
茶化しているわけでしょうか?
Posted by:raisinbuns at 2004年07月17日(土) 01:08

石川誠さん

石川誠さん / 2004年07月06日(火)
今朝の朝日新聞の「ひと」欄に、「長嶋監督をリハビリ治療した医師 石川誠さん(57)」が出ている。
どこかで聞いたような、と思って、庄野潤三『メジロの来る庭』(文藝春秋)を確認してみたら、そうだ、やはり庄野潤三氏の主治医だった人だ。
川崎の虎ノ門病院分院で、脳出血に倒れた庄野潤三氏は石川氏のリハビリ治療を受け、今でも万歩計を付けて家の周囲を歩き回れるだけの回復を見せたのだが、その石川氏が高知の病院に移り、更に新宿初台のリハビリ専門病院に移った、という話が『メジロの来る庭』の8月の項に出ている。そうして、この新しい病院でも効果的な医療をしているらしいことが、今朝の記事からもよくわかる。
長嶋監督も、庄野さんのように元気になって、かなうことならアテネで金メダルを手にすることが出来ますように。

『デルトラ・クエスト』

『デルトラ・クエスト』 / 2004年06月29日(火)
エミリー・ロッダ作、岡田好惠訳、はけたれいこ絵、岩崎書店刊。
『デルトラ・クエスト』が全8巻、『デルトラ・クエストII』が全3巻。
前者ではデルトラのベルトにはまる7つの宝石を奪還し、後者では3つに分裂したピラの笛を取り戻し、影の王国に乗っ取られていたデルトラ王国が独立を取り戻す過程を描くクエストものの物語。「クエスト」なんて言うくらいで、なんかゲームっぽい。というか、構造みえみえ。1巻につき1個ずつ宝石を取り戻して、最後に乗っ取られていた王国を取り戻すんでしょ、って、なんかストーリー展開に不安がないよね。
と言いつつ、子どもが学校の図書館で、順不同に借りてきたので(人気があって、巻の順番、なんて言っていたらいつまでも借りられない)どうせ構造は見えているさ、と思って、来た順に読んでいたら、結局第1巻を読めないまま最終巻を読んでしまった。いつまでたっても第1巻は借りられないので、結局近所の図書館でリクエスト出して借りたが、何しろ最終巻読んじゃって、伏線は全部わかってしまっているので、今更最初の設定を読んでもなぁ、って感じに。反省:最終巻は最後に読みましょう。
細かい仕掛けとかはよく考えられているなー、と思う。また、誰が誰を裏切るかわからない暗黒の時代の中、誰を信じ、誰を疑い、一緒に冒険の旅に出るか、という迷い、そしてその迷いを突くような、あっと驚く裏切り、逆に敵と思っていた味方の登場とか、この辺は読んでいて確かにわくわくする。
ただ、結論が先にあるため、途中までの経緯を緻密に書いてきて、紙数が尽きたと言わんばかりに結末に向かってストーリー展開をはしょっている感じが、どの巻を読んでもする。このページ数でこれだけのことをするのは無理だったのでは?
また、地図があるようで地図がない(地図らしき絵が出ているのに、ストーリーを読みとくのに殆ど役に立たない)ので、先を急ぐわたしのような読者にはちょっと欲求不満。最初から何も描かないか、逆にもっと参考になるものを付けるか、どっちかにして欲しかったことであるよ。
と、きついことばかり書いてきたが、子どもと本の話をしようとした時に、取っ掛かりになる、そんなシリーズだった。まだこれからIIIが出る、という噂。IIのラストがあまりに駆け足だったので、これで大団円とは言えないもの、この先に期待。

コメント
ヤプログって、管理者は過去1日分のリンク元URLを見ることが出来るのですが、『直筆商の悲しみ』でぐぐってこのコメント欄に飛んできた方がいるようなので、念のため。
ゼイディー・スミスが新潮クレストブックスから出している長編のタイトルは『直筆商の哀しみ』が正しいです。
ヤプログ上にわたしの感想はないですが、こっちの日記に感想を書いてあります。
Posted by:NEO at 2004年08月09日(月) 11:42

なんで文字化けするんだろう?
ブラウザのエンコードとか変えても駄目?
まぁわたしが相談にのってもどうにもならなさそうなことですが。

図書館で『ホワイト・ティース』借りてきましたが、読めるんだろうか?
眠くて読書ペース落ちてて、読もうと思っている本ばかりたまっております。
『直筆商』は、わたしには論評しきれないものがあって、ここに書くことは出来ないかも。作家ってすごいなぁ、と思わせてくれる作品でした。
Posted by:NEO at 2004年07月06日(火) 16:00

 祝、New Blog!
 デルトラ・クエストの話じゃなくて、ちょいとおじゃまさせていただきます。というのもニフティのblog、フォームに書き込みしてもよそで書いてコピペしても、どうしても文字化けしてしまうのでございます。なぜでしょう(泣)
 『直筆商の悲しみ』、グノーシスにひかれて図書館にてリクエストかけました。『ホワイト・ティース』にも誘惑されていますが、二巻物には勇気がいります。場所違いで失礼いたしました...
ではまた!
Posted by:ahiruzebra at 2004年07月04日(日) 17:33

『サルビア東京案内』

『サルビア東京案内』 / 2004年06月25日(金)
図案・セキユリヲ 文・木村衣有子 ピエ・ブックス発行(初版2004年4月)

昔、青山ブックセンターで衝動買いした、『サルビア patternbook』(ピエ・ブックス)のデザイナー、セキユリヲさんのデザイン画とともに、渋い東京を歩くガイドブック。
サルビアのウェブページも是非見てください!
紹介されている場所は、小石川植物園、谷中・本郷、神田・神保町、神楽坂・早稲田、そして「ものづくりあれこれ」として金太郎飴、江戸風鈴、和菓子の木型が紹介されている。
散歩のガイドブックとして、また行けなくてもバーチャルなお散歩気分体験のお供として、持っているだけで幸せな一冊。
わたしは職場の机の上に置いて、時々眺めています。

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