2006年3月23日 (木)

リリー・フランキー『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』(扶桑社)

東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~ 東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~

著者:リリー・フランキー
販売元:扶桑社
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リリー・フランキー『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』(扶桑社)を、読み上げる。うーん、予想以上に淡々とした話であった。わたしがこの作者について殆ど何も知らず、先入観がないせいか、作者が同世代のせいか、逆に感慨が薄い。作者で作品を評価すべきでないというのはわかっているが、だとしたら、作品単体として、わたしは予想以上にこの物語に動かされなかった、ということになる。mixiに7000件以上もあがっているレビューの直近分をちょっと見てみたが、すんごく評価高いのに、逆に違和感。

主人公オカンは実に筋の通った人で、とても格好いい! きょうだいの仲もよく、子どもにも大切に思われ、ほんの数年一緒に暮らしたきりで、後はずっと籍は抜かないまま別居していたオトンとの関係も、決して冷え切っただけのものではない。目に見える生涯をなぞると、幸福そうな感じはせず、いつも生活に追われている感じなのだが、美味しいものをきちんと食べていれば、それが生活の基本になる、という考え方を、死ぬまで貫き通してるのが格好いい。

このところ糠漬け文学づいているが(宮本輝『にぎやかな天地』→梨木香歩『沼地のある森を抜けて』→リリー・フランキー『東京タワー』は糠漬け文学の系譜の上につらなっている、とか言ったら笑えるよね)、このオカンが、季節や、中に入れる野菜の種類により、中に入れておく時間を微調整し、時には、今入れると時間的に一番おいしくあがる、という時刻を逆算し、真夜中に目覚ましかけて、一旦起きて野菜入れて糠床をかきまわしたり、という記述を読んで、そういうところで圧倒されていた。

物語全体としては、突然現在の目で語りが入って、そういうところにけれんがあるのがどうにも気になる...そして、事実に基づいているせいか、これといったヤマがなく(あまりに淡々)、しかも、オカンにせよボクにせよ、苦境を乗り越える部分が、そこは小説の主眼じゃないとばかりに軽く流され、努力による現状打破、みたいなことがよくわからない。そういうところがちょっと弱く感じられたのだが...。

最後の臨終前のシーンとか、葬式のシーンとか、忘れまいとばかりに詳細に描かれ、そういうところにはリアリティがあったが、残りページ数を睨みつつ、そろそろ泣けてくるか、そろそろ泣けてくるか、と自分をあおっても、なんか、そんなに泣けるところもなく、気づいたら物語は終わっていた...。うーん、これって、わたしが母親に対する息子という立場にないから? 母親として子どもに愛情を注ぐことは、自分なりに当然のことなので、それをこうしてたたみかけるように有難がられても、それほどのことじゃない、と思ってしまうのか? アフォリズムのように、子の親に対する愛、子が感じる親からの愛、について語られているのはそれなりに説得力あったが...。すみません、わたしは手放しで賞賛は出来なかったです。

2006年3月22日 (水)

高村薫『新リア王』上下・新潮社

新リア王 上 新リア王 上

著者:高村 薫
販売元:新潮社
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新リア王 下 新リア王 下

著者:高村 薫
販売元:新潮社
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2006.3.2の日記より:今日から高村薫『新リア王・上』(新潮社)読みはじめる。愛ルケの前に日本経済新聞に連載されていたが、挿絵に倒錯疑惑かなんかが発生し、その後、新聞社側と何かトラブルも発生して、連載が打ち切られてしまったこの小説は、レンブラントの絵の装丁で、新潮社から単行本になった。『晴子情歌』(上下、新潮社)に続く、大河小説(全3部になるらしい)の第2部。晴子の息子彰之の元を、彰之の実父福澤榮が訪れ、榮を取り囲む政治的状況について、そういった世界と無縁の息子に、問わず語りに語る。福澤家に近い部分だけ、架空の名前になっているが、あとの部分は政財界の実名を出した小説で、だからこそ新聞連載で問題が発生したのかもしれない。込み入っていて、なかなか進まない。返却期限までに読めるのか?

2006.3.14の日記より:読み始めの時にも書いたが、これは『晴子情歌』(新潮社)に続く、大河小説の2作目(じゃあ3作目の主役は誰になるんだろう?)。70代半ばの老いた代議士。分刻みのスケジュールをこなし、各方面に目配りし、如才なく、自分の王国を築き上げている老王。その王国は盤石に見えたが、実際には、政争の具として、その一角を崩され、それでもそれまで築き上げてきたものによって、見た目は状況を維持したかに見える。しかし、王は結局、自分が若い頃からずっと、何も信じていなくて、やっていることは自分の理想の実現ではなくて(そもそも理想とは何?)、でも王国を維持しようという強い意志でここまでやってきたが、その王国は誰にも絶対的な信奉を受けてはいなかったことを、最初からある程度わかってはいたつもりだったが、あまりにも完膚なきまでに幻想を打ち砕かれることとなる。その経緯を、虚実ないまぜた1970~80年代の政治史の中で、モノローグとして語る。最初は、父と同じくらいの存在感を持っていた婚外子彰道は、だんだんたよりなくなっていき、最終章ではフェードアウトに近い状態。王=福澤榮の孤独だけがこれでもかこれでもかと描かれる。でもそれは悲哀ともちょっと違う。代議士も秘書達も息子や妻や支持者たちも、それぞれに孤独で、自分の分を見据え、その場その場で最良の選択をしているつもりで、でもそれはすっきりともしていないし、誰も信じていない。誰も幸福そうに見えず、でもそれよりよい生き方も見つからない。更にこの人たちの上に、日本という国を動かそうとする人の意思がある。その中で、現在のリア王は道化たちに向かってひたすら語り、物語は終わって行く...。救いがない、というのともちょっと違う、不思議な物語。自分の20年前のことを漠然と思い返しつつ、こんな人もいたのだろう、と、考える。

2006年3月 2日 (木)

2002年02月04日(月) 白川道『海は涸いていた』(新潮文庫)

海は涸いていた 海は涸いていた

著者:白川 道
販売元:新潮社
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わたしは、作者についてはなんの基礎知識もなく(カバー裏の作者プロフィールも読まず)まずこの本を読んだのだが、解説に、作者の人となりが書いてあった。これは読まずにまず小説を読んだ方がいいかなー、と思った。
ぐいぐい読んだ。途中でやめたくない、という力のある小説だった。

主人公伊勢孝昭は、自分の過去を封印して生きている。強い精神力を持ち、ストイックに生きていたのに、街角での偶然の出会いから、伊勢を取り巻く人々の人生が少しずつほころびていく...。
作品の中で、少しずつ伊勢の過去の人生が語られていく。その語りは意外にためた感じでなく(ああ、早く知りたいっ、と渇望するより前に種あかしがされる)、また母の死のくだりがちょっと弱いかな、と思ったが、真摯に生きてきたのに周囲の状況が彼に堅実な人生を送らせなかった理不尽さが、淡々と再現される。彼の周囲にいる人間で彼を嫌ったり憎んだりしている人は誰もいない。なのに、同じ拳銃が三たび使われることとなり、すべての登場人物が不幸な方へ向かっていく。

小説の後半の主人公は、拳銃殺人を追う警視庁の佐古警部に移る。
読者が、伊勢の回想の中で少しずつ知っていった伊勢の過去を、佐古は偶然や直感でどんどん手繰り寄せていく。ちょっと都合よすぎないかい?、って気もしたが、佐古の存在意義は、佐古が出来る限り多くの人を守ろうとして選んだ結末(伊勢が作ったシナリオを、佐古はあえて見守る)にある。また、佐古が事件の蚊帳の外にいようとするいいところのぼんぼんを一喝するシーンも素晴らしかった。
伊勢の私生活はすごく抑えた感じでしか描かれておらず、佐古の生活の方が緻密に描かれている(警部の私生活を描いている感じはちょっと宮部みゆきっぽい)。

あまりに異世界の物語なので(ひとことで言ってしまえば、これは児童養護施設出身者とヤクザの物語である)、特に感情移入した登場人物はいないのだが、伊勢や、彼を巡る人々の幸福を祈りながら読まずにいられない小説だった。
ラストは、本当に泣けた。

2006年2月15日 (水)

『嫌われ松子の一生』(2003.10.10の日記より)

映画化記念! という訳でもないが、昔の日記を発掘。この感想文を読んで、わたしの友人はわざわざamazonで本取り寄せて読んで、更に家にお手伝いに来ていた女の人まで持ち帰って読んだらしい。当時からアフィリエイトやっていれば!!(笑) わたしが読んだ単行本は既にアフィリエイト対象外だったので、文庫本の方で。でも本の装丁のきれいさはなんと言っても単行本だったのだが...。

嫌われ松子の一生 (上) 嫌われ松子の一生 (上)

著者:山田 宗樹
販売元:幻冬舎
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嫌われ松子の一生 (下) 嫌われ松子の一生 (下)

著者:山田 宗樹
販売元:幻冬舎
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山田宗樹『嫌われ松子の一生』(幻冬舎)を読む。昨年、本屋の店頭で、本の表紙を見たときから気になっていた本だが(赤い鹿の子模様の千代紙の表紙で、なんだか心に残るのだ。それに「嫌われ」ってなんだよ、と、タイトルも面白い)、単行本で見たときも、最近文庫に落ちたときも、もう一歩のところで買えず、そうしたら図書館で発見したのだった。優等生として育ち、国立大学を卒業して中学校の教師になった松子がどういうきっかけで「嫌われ」松子の人生を歩むことになったのか、松子の死後、初めて松子という伯母の存在を知った甥が、松子の足跡をたどる現在と、松子自身のモノローグで語られる半生が縒り合わされるように描かれ、読者はため息をつかずにいられない。勤勉で真面目な気質を持ち、どんな環境ででも努力をする才能を持つ松子が、一種の極限状況に置かれたときに、思いもかけない行動を取ってしまう、そういう一面を持っていたため、本人すら想像もしなかった流転の人生を歩むことになってしまう、その過程が、昭和40年代から今日に至るまでの時代背景と共に描かれる。自然とページを繰る手が早くなる、不思議な力を持った本だった。

2000年6月:庄野潤三を読み、至福の時を味わう

鳥の水浴び 鳥の水浴び

著者:庄野 潤三
販売元:講談社
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一昨日(2000.6.18)の朝日新聞の書評欄に、庄野潤三『鳥の水浴び』(講談社)の書評が出ていた。
松山巌(評論家)によると、若い友人と本の話をしていて、庄野潤三の話題が出たことがあり、驚いたとのこと。わたし自身、友人等と話をしていて、庄野潤三の話題になったことはない。淋しい。誰かと心置きなく庄野潤三の話をしたい。
と言っても、まぁ、別に評したり論じたりするような本ではない。こういう件りがよかったねーとか、そんなことをぽつぽつ話し合うだけだろう。

もう何年も、庄野潤三は文芸誌に、老夫婦の生活を描いた連作短編(エッセイに近いような気もするのだが、一応小説、というカテゴリに入るらしい)を1月から12月まで連載し、次の年の春先に、文芸誌を出している出版社から単行本を出す。特定の雑誌でなく、毎年大体違う雑誌に出る。去年は「群像」だったので、講談社から刊行された、という訳だ。たぶんそんなに沢山は刷っていないと思うし、文庫に落ちたりもしない。しかし、新聞に広告が出て、買いに行くと、注文しなくてもちゃんと店頭で発見出来るし、大抵、好意的な書評も出る。

初めて読んだのも、新聞の書評でいいことが書いてあったからだった。まだ実家にいた頃で、母が興味を持って、これ買ってきて、と言ったのだ。『インド綿の服』(講談社)、作者と、足柄山の奥に住む長女一家との交流を描く連作。とても楽しく読めた。
その後、今思いつくままにこのシリーズのタイトルをあげると『エイヴォン記』『誕生日のラムケーキ』『鉛筆じるしのトレーナー』『貝がらと海の音』『さくらんぼジャム』もっとあったと思う。実家とうちとばらばらになっていて、未整理だが、甘ったるいタイトルを見てもわかるように、どれもほんわかと、老作家の日常と、子どもや孫との交流が描かれている。何作も読んでいるうちに母は、悪人が出てこない、息子夫婦との交流もいっぱい出てくるのに、嫁姑の争いみたいのが片鱗もあらわれず、嘘くさい、と、ぶつぶつ言うようになったが、まぁ、だからこそ小説とも言える。繰り返し繰り返し、毎日の生活の中のささやかな喜びが語られる。読んでいて嬉しくなる。

10年ちょっと前にこの新作を読み始めてから、作者の古い作品も文庫で発見できる限り読んだ。
その中に「ひばりの子」という短編があり、デジャブが、と思ったら、中学校の国語の教科書に出ていた作品だった。当時は淡々としすぎていて、そんなに面白いとも思わなかったが、今読むと、既に世界が確立されていたことがよくわかる。

庄野潤三の作品については、なんの説明もいらない。ただ読んで、としか言えない。
ミステリもない。波乱万丈もない。
花を植えたり、おいしいおかずを近所にお裾分けしたり、宝塚歌劇を見に行ったり、孫の運動会を応援に行ったり、嬉しいこと、楽しいことが重ね重ねて描いてある。
何これふん、と思わず、一緒に嬉しさをわかちあってくれる人と、庄野潤三の話をしてみたい。

うさぎのミミリー うさぎのミミリー

著者:庄野 潤三
販売元:新潮社
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ピアノの音 ピアノの音

著者:庄野 潤三
販売元:講談社
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けい子ちゃんのゆかた けい子ちゃんのゆかた

著者:庄野 潤三
販売元:新潮社
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孫の結婚式 孫の結婚式

著者:庄野 潤三
販売元:講談社
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山田さんの鈴虫 山田さんの鈴虫

著者:庄野 潤三
販売元:文藝春秋
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絵合せ 絵合せ

著者:庄野 潤三
販売元:講談社
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庭のつるばら 庭のつるばら

著者:庄野 潤三
販売元:新潮社
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貝がらと海の音 貝がらと海の音

著者:庄野 潤三
販売元:新潮社
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インド綿の服 インド綿の服

著者:庄野 潤三
販売元:講談社
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メジロの来る庭 メジロの来る庭

著者:庄野 潤三
販売元:文藝春秋
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せきれい せきれい

著者:庄野 潤三
販売元:文芸春秋
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夕べの雲 夕べの雲

著者:庄野 潤三
販売元:講談社
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2006年2月14日 (火)

古川日出男『ベルカ、吠えないのか?』(文藝春秋)

ベルカ、吠えないのか? ベルカ、吠えないのか?

著者:古川 日出男
販売元:文藝春秋
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古川日出男って...名前で損している気がするんだけど、どうでしょう? なんか名前が古くさくない? 実際はわたしよりも若い(いや、わたしより若いから若いってこともないのは認めざるを得ないが)んだけど、わたしより10や20年上の老練な作家みたいな雰囲気を漂わす名前だと思う<偏見でスマソ。

これは第2次世界大戦下のアリューシャン列島に取り残された軍用犬たち(ちょっと「南極物語」っぽい)の、犬の系譜の物語。誰が誰を産んでとか、えんえんと書いてあるのがちょっと(いや、かなり)ガルシア=マルケス『百年の孤独』みたい、とか思ったです...書き出さなきゃ絶対混乱(でもって、電車読書なので当然書いたりせず、とても混乱しながら読んだ)。ジャーマン・シェパードの系譜、北海道犬の系譜、血統書つきみたいな純血犬と、雑種、北の島に由来した犬たちが東(アメリカ)と西(アジア大陸)、北から南へと広がっていき、子孫たちの運命は色々なところで交錯する。犬の多産とドッグ・イヤー的成長の速さが、人間の運命とは全然違うスピードとダイナミズムで戦後史の裏で展開されている。勿論、それは神の視点をもつ作者(と読者)にしかわからないのだけれど。

ちょっと話が錯綜としすぎで、読みにくい面もあったが、大森望・豊崎由美コンビが絶賛しただけのことはある! 読書の醍醐味を堪能。

とりあえず『二〇〇二年のスロウ・ボート 』買ってあるので、次はそれを読んでみるさー。

(ひゃー、『百年の孤独』って、今文庫本とかで売ってないのね! 信じられん...)

百年の孤独 百年の孤独

著者:G. ガルシア=マルケス
販売元:新潮社
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2006年2月 9日 (木)

2002年02月03日(日) 川上弘美『神様』中公文庫

神様 神様

著者:川上 弘美
販売元:中央公論新社
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(注・後半に短編のひとつのネタを思いっきり割っていますので、これから読もうと思う人はご注意を)

短編集を読むのも楽しいのだが、1つの作品を読むのに費やすエネルギーが小さいせいか、読んでいるときは面白くても、あとになって思い出せない作品というのが結構ある。読書の無駄遣いしている感じ。
何かの小説の一節を思い出して、ああ、これは誰のなんという話だったっけなー、と思うことが結構ある。
しかし、この『神様』は違った。静かな物語ばかりなのに、訴えかけてくるこのインパクトは何だ?
日常と非日常が入り混じった静かな生活の感じは、あえて言うなら江國香織に似ていなくもないが、やはり違う。

表題昨「神様」、なんだか聞いたことある名前だ、と思ったら、昔、パスカル短篇文学新人賞(第1回)を受賞した作品だった。1994年。パソコン通信界の文学賞の嚆矢だ。
初めて読んだが、こんな作品とは思ってもいなかった。文庫本で僅か10ページの物語の中に、暑い夏の日が描かれている。近所に住むくまと散歩に出て、川で魚とり。「神様」は、最後にくまの話の中で一瞬あらわれ、「わたし」はくまの神様のことを考えながら一日を終える。川上弘美と相性が悪い人にとってはたぶん so what? なだけの物語だろうが、作者がこういうタイトルをつけたということを思うとまた、ずしんと心に響くものがある。

わたしが一番好きだったのは、「星の光は昔の光」という話だ。
主人公が隣りに住む男の子と交流する話だが、シチュエーションは山本文緒『眠れるラプンツェル』ととかと似ているけれど(もっと乱暴なことをいえば、北村薫『リセット』の第2部とか)、それぞれに、泣きどころがちょっと違う。
一緒にどんど焼きを見に行って、「わたし」と「えび男くん」は、こんな会話をかわす。

「あのさ、熱いっていう感じをかたちにすると、どんなかたちになると思う」火をみつめながらえび男くんがふと聞いた。
かたちねえ。かたち。やっぱり日かなあ。
「ぼくはね、熱いっていうのは、手を天に向かって差し上げてる太ったおじいさんみたいなかたちだと思う」
ふうん。それはなんだかおもしろいね。
「別におもしろくもないけどさ。じゃね、寒いっていうかたちは?」
寒い、ね。寒いはね、星みたいなものかなあ。
「ぼくの寒いはね、小さくて青い色の空き瓶だよ」(文庫版118ページより引用)

「あのね。星は、寒いをかたちにしたものじゃないと、ぼくは思うな」と答えた。
ふうん、とわたしが言うと、えび男くんは、
「星はね、あったかいよ」とつぶやいた。
「星の光は昔の光でしょ。昔の光はあったかいよ、きっと」きっと、と言いながら、えび男くんは鼻をくすんと言わせた。(同121~122ページより引用)

ああ、この一節を読んだだけでもこの本を読んだ甲斐があったよ、わたしは。

9つの短編(「マリ・クレール」に掲載されたらしい)がおさめられていて、基本的に独立した作品になっているが、「神様」と「草上の昼食」、「河童玉」と「クリスマス」と「星の光は昔の光」は、連作になっている。
川上弘美は淡々としているので、読むときの気分によって、すごく腑に落ちる時とそうでもない時があるが、今回(って電車の中で読んでいたのだが)はすーっとわたしの中に入ってきた。幸せだ。

Book 眠れるラプンツェル

著者:山本 文緒
販売元:幻冬舎
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リセット リセット

著者:北村 薫
販売元:新潮社
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2006年2月 2日 (木)

島本理生『ナラタージュ』(講談社)

ナラタージュ ナラタージュ

著者:島本 理生
販売元:角川書店
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日記より。

読書初日:島本理生『ナラタージュ』(講談社)読み始めるが、眠くてあまり進まず...まだ「この恋愛小説がすごい!」(このレン、とか呼ばれるようになるのか? そんな感じしないなぁ)1位の片鱗にたどり着いていない、ただの生半可な青春小説みたいな感じ。

読書2日目:昨日は入り込むところまでいけなかった島本理生『ナラタージュ』(講談社)、今日はひたすら読む。夢中で読む。イマドキの若い人が書いた純文学系の小説にしては長い...色んな人が、色んな苦悩を抱え、誰かに何かを求めるが、自分自身は他の誰かに求められた何かを与えられていない、という、結構辛い小説。誰かに触れたいという気持ちとか、好きってこういうこととか、セックスしたいって、セックスしたくないってこういうこととか、そういうことが丁寧に書かれていて、説得力があるから、この小説は恋愛小説の金字塔(そこまで言うか)になったのだねぇ。わたしが作者くらいの年齢だった時には、こんなことは知らなかった。今だから共感できる、みたいなことが多くて、なんだか不思議。

その前に、同じ作者の『リトル・バイ・リトル』(講談社)を読んでいるのだが、『リトル・バイ・リトル』のふみと、『ナラタージュ』の泉は似ている。声もたてずに、静かに生きようとしていて、それを、誰かが外部から開こうとしている。

彼女(たち)には通っている芯があって、それを曲げることが出来ない。曲げない強さと、それで人に気を遣って疲れてしまう弱さとが同居している。

そんな声高に主張することのない彼女たちに訪れる恋は、淡く、美しい。こういう人になりたい、というのとは違うけれど、恋愛でこういう心の震えを体験できればどんなにかすてきだろう、と思わせてくれる。

この先、作者はどんな物語を紡いでくれるのだろう。すごく期待する。

リトル・バイ・リトル リトル・バイ・リトル

著者:島本 理生
販売元:講談社
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2006年1月25日 (水)

2002年01月14日(月) 山崎豊子『沈まぬ太陽』1~5巻(新潮文庫)

沈まぬ太陽〈1〉アフリカ篇(上) 沈まぬ太陽〈1〉アフリカ篇(上)

著者:山崎 豊子
販売元:新潮社
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沈まぬ太陽〈2〉アフリカ篇(下) 沈まぬ太陽〈2〉アフリカ篇(下)

著者:山崎 豊子
販売元:新潮社
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沈まぬ太陽〈3〉御巣鷹山篇 沈まぬ太陽〈3〉御巣鷹山篇

著者:山崎 豊子
販売元:新潮社
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沈まぬ太陽〈4〉会長室篇(上) 沈まぬ太陽〈4〉会長室篇(上)

著者:山崎 豊子
販売元:新潮社
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沈まぬ太陽〈5〉会長室篇(下) 沈まぬ太陽〈5〉会長室篇(下)

著者:山崎 豊子
販売元:新潮社
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父が「週刊新潮」を毎週読んでいたので、山崎豊子が『沈まぬ太陽』という連載をだらだらだらだら続けているのは、なんとなく知っていた(多分「週刊ポスト」の『模倣犯』より長かったのでは? 別に比較した訳ではないけれど)。途中で「御巣鷹山」とかいう字が見えたので、どうやら日航の話らしい、というのも、知るとはなしに知っていたが、そんなに興味を持ったことはなかった。
山崎豊子といえば、小説が長い、社会的テーマを扱った大衆小説、というイメージがあり、今まで特に興味を持ったことはなかったのだが(厳密には、中学生だか高校生の時に『華麗なる一族』の冒頭をぱらぱらっと読んだことがあり、伊勢志摩ロイヤルホテルだったかどこかの晩餐の様子を読み、興味深かったのだが、自分の本でなく、少し読んだところで置いて帰らなくてはならなかった、ということはあった)、友人が山崎豊子は面白い、是非読みなさい、というので、まぁそれは『華麗なる一族』でも『白い巨塔』(田宮二郎を思い出しますな)でも、『大地の子』(上川隆也を思い出しますな)でも『二つの祖国』(松本幸四郎を思い出しますな)でもよかったのだが、たまたま文庫で新刊が出たので、『沈まぬ太陽』から始めてみることにした。
自己管理不行き届きで、2泊の入院を余儀なくされたため、入院中の無聊を慰めるに、山崎豊子は最適であった。自己反省すべき入院期間を、わたしは主人公恩地元と一緒にどきどきはらはら過ごし、退屈することがなかった(まぁベッドで長編小説を読むのは疲れるけれど)。

労働組合、って、本来は社員の権利を守ったり、社員の生活環境を向上させるためにあるのだが、多くの企業で、会社経営陣の御用組合になっていたり、逆に、一部の先鋭化した組合員が過激な主張をして、その一派だけが社内で冷遇されたり、組合がすべての組合員のためになっているとは言いがたい場合が多いような気がする(って、わたし自身の経験は乏しいので、あくまでもイメージ論ではあるが)。
この小説は、恩地元という、コネなしで大手航空会社に就職した優秀な青年が、順当な出世コースに乗る直前に組合活動にある意味不本意な形で深入りすることとなったのをきっかけに、報復人事の標的となり、カラチ、テヘラン、ナイロビと、所謂「僻地」を転々とさせられる様子を描いているが、その一方で、大企業の労働組合の病理的部分、矛盾を色々な側面から描いている。昔から、日本航空には労働組合が幾つもある、という話は聞いたことがあったのだが、その背景となる状況(恩地元が委員長をやっていた時代には組合は一つしかなかったのだが、会社の意向や、パイロット、スチュワーデスといった、地上職と違う職種の人々が独自に組合を結成したことなどから、組合が細分化されていった)が、この小説を読むことでなんとなく理解出来た。
同時期に組合の委員長と副委員長をやっていた、同期の行天四郎が、組合に見切りをつけて出世街道に乗り、会社のダークな部分にどんどん足を突っ込んでいくのと、組合を裏切ることが出来ない、と、自分の正義を曲げず、どんどん日本から離れた場所へ送られていく恩地との対比。
組合の目的でもあり、会社の目的でもある「空の安全」を、企業(厳密には特殊法人)はどのように考えているのか? 1972年にインドとソビエトで相次いで起こった航空事故と、1985年の日航機墜落事故を小説は描く。特に1985年に御巣鷹山で墜落した日航ジャンボの事故の話は、一部実名も出し、事故の状況を詳細に描き、また、その後の遺族の行動、日航の遺族係の対応、遺族会の結成など、どのページを読んでも涙が出てくるような、辛い話の連続だった。人は多くの理不尽な事故で、愛する家族を亡くすことがあるが、このようなmassな事故には独自の状況があるものなのかな、と考えさせられる。
墜落事故の責任を取って辞任した社長の後任に、総理大臣は、航空業界とは縁もゆかりもない関西の紡績会社の会長を任命する。今までの腐敗体質を是正すべく、清廉な人柄の会長は、現場の声を集め、労働組合の統一をはかり、また人事の刷新をはかるが、会社の経営陣とそれを取り巻く環境は、予想以上の伏魔殿であった。会長に乞われ、秘書室とは別に設けられた「会長室」に招かれた恩地だが、恩地の存在自体が会長の立場を悪くするシチュエーションもあり、また、腐敗構造のあまりの巨大さに、代表権を持つ会長ですら手をこまねくことになる...。背後には内閣の意向、政治の裏金、運輸省との癒着なども描かれ、これが本当にすべて事実だとしたら本当に恐ろしいことだが、火のないところに煙は立たないのであれば、このなかにそれ相応の事実も存在するのだな、と寒い気持ちになる。
ラストでも、読者は溜飲を下げきれない。会長は志半ばで社を去り、多くの悪が暴ききれないまま、物語は終わる。恩地の家族が得たささやかな幸せ、行天を待つ特捜部の手、といった、僅かな正義の姿だけで、読者は満足しなくてはならないのか?

作者は「この作品は、多数の関係者を取材したもので、登場人物、各機関・組織なども事実に基き、小説的に再構築したものである。但し御巣鷹山事故に関しては、一部のご遺族と関係者を実名にさせて戴いたことを明記します」と書いている。つまり、これは小説であり、小説でない、らしい。『大地の子』で、作者がモデルとなった人物との間でもめた経験から、このような但し書きがついたのか? いずれにせよ、不勉強なわたしには、この物語が幕を閉じたあとの「国民航空」の姿がよくわからず、なんとなくもやもやしたものが残ったままである。

空の安全のために尽力する、多くの現場の人に敬意を表して。

2006年1月20日 (金)

2001年09月27日(木) 梨木香歩『裏庭』『西の魔女が死んだ』(共に新潮文庫)

西の魔女が死んだ 西の魔女が死んだ

著者:梨木 香歩
販売元:新潮社
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裏庭 裏庭

著者:梨木 香歩
販売元:新潮社
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実はわたしは、日本人が書いたファンタジーが苦手である。いや、昔読んだ佐藤さとるや安房直子や立原えりかなんかは抵抗なかったのだが、今回読んだ『裏庭』みたいに、日本で、普通の生活を送っていた小学生が突如、魔法世界の「裏庭」に迷い込み、さまざまな冒険を非日常世界で送り、また最後に現実世界に帰って来る、という風合いの物語にどうも抵抗がある。
『裏庭』は、どこかへ出かける途中などにこまぎれに読んでいたこともあり、どうも導入部で躓いてしまった。主人公照美が双子の弟と死に別れ、レストランを経営する両親の愛情を今ひとつ実感できずに暮らしているという実世界の物語はそこそこ腑に落ちた(双子ものとして、無理のない作りだと思った)のだが、古い洋館の鏡の奥の別世界の裏庭に入り、冒険に仮託された自分探しをする展開が、どうもむずがゆいのである。また、そうした架空世界に身を置いているのをexcuseにして、自分探しの過程ですごく残忍なことが起こるのも辛かった。
振り返ればそれなりに面白かった、と言えるのだが、色々留保の残る作品だと思った。
で、『裏庭』を読んでいる途中で『西の魔女が死んだ』も買ったのだが、しばらくああいう風合いの話は読まなくていいかなぁ、と思っていた。だってタイトルに「魔女」なんて入っているんだもん、同じ系統だと思うよねぇ? そうしたら、メール交換をしたある人に「『西の魔女が死んだ』はファンタジーじゃない」と断言され、え、そうなの?、と思ったら俄然気になりだし、手に取ったら一気に読んでしまった。主人公まいが、不登校になった中学1年生のある時期を、田舎に住む祖母(日本に住むイギリス人。つまりまいはquarterである)のもとで過ごす。その間に魔女として生きる心得を祖母から伝授される物語。そこには実際は魔法はない。自分らしく生きるためには、どういう心持ちをしていればいいかが、自然に近い暮らしを描いた中で見えてくる。物語の中の現在では、「魔女」こと祖母はもう死んでしまっているのだが、魔女修行をして2年たった現在の時点で、まいはまた、当時理解出来なかったことを会得していくのである。
このところ人の死について考えることが多かったので、死について、作者がどのように考えているのか明示されているのにも好感が持てた。
梨木香歩という作者、名前すら知らなかったのだが、インターネットの読書系サイトで何回も名前を見かけて手に取った、現代的な出逢いをした作家だが、機会があったら、もう数冊読んでみたい、と思った。

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