2006年2月24日 (金)

2002年09月23日(月) パブロ・カザルス 鳥の歌

パブロ・カザルス 鳥の歌 Book パブロ・カザルス 鳥の歌

販売元:筑摩書房
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昨日、藤原真理のチェロのコンサートに行って、アンコールに「鳥の歌」を聴いて、色々思い出した。

わたしがこの、スペイン・カタルーニャ地方の民謡である「鳥の歌」という曲について、初めて名前を知ったのは、大橋鎮子編著『すてきなあなたに』(暮しの手帖社)を読んだ時である。この本については既に、この「本棚爆撃」の2001年03月12日の「しわのない(少ない)肌のために」という項で触れているが、25年も前に読んだのに、今も大きな影響をわたしに与えている、なかなか自分の生涯の中で重要な役目を担っている(大袈裟か)本である。
で。この本の中で、晩年のカザルスが国連か何かのコンサートでこの「鳥の歌」を弾くシーンをテレビで見た、という話が出てくるのである。カザルスは、弾く前に、この曲について、短い解説をする。カタルーニャの空を、鳥がピース、ピース、と鳴きながら飛ぶのです、と。フランコ政権を容認せず、故郷の地を踏まないまま亡くなったカザルスのことを思い出すと、それはもう世界史の中の出来事のようである。カザルスの望んだピースは本当に訪れたといえるのか?

わたしが実際にこの「鳥の歌」を聴いたのは、それから15年以上たってからのことである。カザルスがミエスチラフ・ホルショフスキー(ピアノ)、アレクサンダー・シュナイダー(ヴァイオリン)と共にホワイト・ハウスで、ケネディ大統領を前に演奏したコンサート(1961.11.13)のCDの末尾に、「鳥の歌」が入っている。CDの演奏はピアノ伴奏がついたもので、昨日藤原真理がチェロ独奏で弾いたものとはちょっと雰囲気が違ったが、カザルスが願ってやまなかった平和、というものについて考えさせられたことは言うまでもない。

そして、『パブロ・カザルス 鳥の歌』という本がある(ジュリアン・ロイド・ウェッバー編、池田香代子訳、筑摩書房)。
昔、Nifty-Serveのパソコン通信のサービスの中でホームパーティという、個人会議室を持っていたことがある。今の掲示板のようなものか。自分の友人に案内して、来てもらったホームパーティのテーマは「読書」で、来て下さった方が自分の好きな本について語ってくださったのだが、FCLA(音楽フォーラム・クラシック)で知り合った荒神さんというチェロ弾きの人が勧めてくれたのがこの本だった。伝説のチェリストの言動を、本人もまたチェリストであるウェッバー(CATS等のミュージカルの作曲家アンドリュー・ロイド・ウェッバーの兄弟)がまとめたもの。アフォリズム集、といった感じか。読むと、カザルスの人となりが目の前に現れてくるような気がする。

ちょっと長くなるが、この本の冒頭でカザルス自身が語った「鳥の歌」についての文章を引用しよう。カザルス自身の演奏ではないが、同じようにチェロを愛する人が弾いた「鳥の歌」を聴けたことを純粋に歓びたい。

「私は、カタロニアの古い祝歌(キャロル)『鳥の歌』のメロディでコンサートをしめくくることにしています。その歌詞はキリスト降誕をうたっています。生命と人間にたいする敬虔な思いにみちた、じつに美しく心優しいことばで、生命をこよなく気高く表現しています。このカタロニアの祝歌のなかで、みどりごを歌い迎えるのは鷹、雀、小夜啼鳥、そして小さなミソサザイです。鳥たちはみどりごを、甘い香りで大地をよろこばせる一輪の花にたとえて歌います」

すてきなあなたに すてきなあなたに

著者:大橋 鎮子
販売元:暮しの手帖社
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2006年1月24日 (火)

酒井順子『負け犬の遠吠え』 / 2004年07月06日(火)

負け犬の遠吠え 負け犬の遠吠え

著者:酒井 順子
販売元:講談社
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酒井順子『負け犬の遠吠え』講談社
講談社文庫のPR雑誌「IN☆POCKET」の連載を1冊にまとめたものらしい。

既に内容については色々な媒体で触れられていて、今更ここで紹介するまでもないが、作者は、自分がそこにカテゴライズされる「三十代・独身・子なし」の女性を「負け犬」と定義し、「勝ち犬」(既婚・子どもありの同世代の女性)と対比し、それぞれの人生のあり方について、色々な角度から語っている。

簡単に片付けてしまうのであれば、いつの世でも、隣の芝生は青いのであり、人間いつでもないものねだりをしてしまうものなんだよね、ということだが、別に作者は自分の「負け犬」人生を恥じたり後悔したりしている訳ではない。人生の様々な局面で、なんとはなしにしてきた選択の数々の結果、今のような境遇に流れ流れてきた訳だが、所謂「勝ち犬」は、自分の人生を計算し、ある意味打算をした結果として、今の境遇にいて、自分の好奇心や本能を優先させて生きてきた人たちが、ふと気づくと「負け犬」になっていた、というトーンが、この本の中には見える。
ある意味、負け犬の方が、ロマンチックでピュア? なので高望みをして、結果として、新たな家族を築くことなく今日に至っている...。
考察で面白かったのは、日本にはカップル文化というのがないため、負け犬が負け犬同士でつるんでいても違和感がない社会が形成されている、というか、カップルが、カップル単位で登場しなくてはならない場というのが極めて少なく、日本人は人生の大半の部分を同性同士で過ごしている(勝ち犬負け犬かかわらず)、という部分。この本の中でも触れられている『ブリジット・ジョーンズの日記』などを読んでもあきらかなように、他国の都市圏(負け犬は、都市部以外の場所では大量発生しない構造になっている)では、負け犬も、負け犬同士だけではいられない場、というのがあり、結果として、負け犬には、恋愛関係にはならない男友達が必須(ゲイであったり、あまりに幼馴染過ぎて恋愛対象にはならなかったり)らしい。

この本は負け犬も勝ち犬も礼賛していない。見た目華やかで格好いい負け犬は時として空虚な思いにとらわれる時もある。勝ち犬(何回書いても変な響きのことばだね、こりゃ)は、安定した生活に安住しているが、緊張感のない人生を幸せと感じているかはよくわからない。そして、二極化しないと書きにくいので、あえて触れられていない中間的な立場の人、どちらの範疇からもはみ出ている人だっている。結局、二元論では片付かないんだけど、便宜的に分けると面白く読める、ってことだよね。

自分の人生を振り返り、考えると、わたしの勝ち犬負け犬分岐点は、22~25歳頃にあった。
それまで適当に流して楽しく生きていたわたしは突如、呪いにかかったような、男ひでり状態になったのである。
訳わかんない悪循環ループから脱出する手をさしのべてくれたのが今の夫であり、また呪いにかかってはかなわん、と、結婚を急いだ結果、わたしは20代後半で結婚、30代突入直後に出産し、なんだか勝ち犬になってしまったのである。
あそこに何かのきっかけが転がっていなかったら、好奇心体質のわたしは、そのまま負け犬街道を突っ走っていた可能性が大きかった。母とかにも「30になっても結婚していなかったら、自宅を出て自活しなさい」と、負け犬前提の話をされていた。
『負け犬の遠吠え』を読んでいると、パラレルワールドにいる自分を見ているような気がする。きっと誰もが、何かのきっかけで今いるカテゴリーと違う方のカテゴリーにいたかもしれない自分を思い浮かべながら読むのではないか。

ブリジット・ジョーンズの日記 ブリジット・ジョーンズの日記

著者:ヘレン フィールディング
販売元:ソニーマガジンズ
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